1863年
アメリカ大統領・リンカーンが「奴隷解放宣言」を布告。
リンカーン大統領が南北戦争中に奴隷制度を廃止する「奴隷解放宣言」を布告しました。
1863年1月1日、エイブラハム・リンカーン大統領は南北戦争の最中に奴隷解放宣言を公式に布告しました。
この宣言により、反乱を続ける南部の州におけるすべての奴隷が法的に解放されると宣言されました。
宣言は即時に解放を保障するものではなく、連邦が実効支配する地域に限定されたものでした。
しかしながら、国際的に奴隷制度廃止の流れを加速し、北軍への支持を強化する効果を生みました。
従来の社会制度に大きな衝撃を与え、その後の憲法修正第13条による奴隷制度廃止の土台を築きました。
1863年
アメリカ大統領
リンカーン
奴隷解放宣言
1873年
日本で太陽暦を採用。旧暦の明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日になる。
日本が明治政府の近代化政策の一環として太陽暦を採用し、暦を西洋式に切り替えました。
1873年1月1日(旧暦:明治5年12月2日)の翌日から日本は太陽暦を正式採用しました。
それまで使用していた旧暦(太陰太陽暦)をやめ、グレゴリオ暦に基づく西洋式の暦へ移行しました。
新暦採用は近代化政策の一環であり、欧米諸国との制度統一を図る目的がありました。
これにより、年始や祭日の制定、官公庁・商業活動の日程調整が容易になりました。
従来の季節感や行事との齟齬を生じた面もあり、民衆の間で混乱が一時的に起こりました。
1873年
太陽暦
旧暦
明治
12月2日
1915年
日本で3番目の動物園として、大阪市天王寺区に天王寺動物園が開園。
大阪・天王寺に日本で3番目の動物園が開園し、市民の憩いの場となりました。
1915年1月1日、大阪市天王寺区に天王寺動物園が開園しました。1899年に開園した上野動物園、1908年の王子動物園に次ぐ日本で3番目の動物園です。開園当初はゾウやライオン、サルなど多様な動物を展示し、市民の人気を博しました。動物園は近代日本の公園文化の一翼を担い、教育やレクリエーションの場としての役割を果たしました。現在でも歴史ある動物園として多くの来園者を迎えています。
1915年
大阪市
天王寺区
天王寺動物園
1927年
健康保険法施行。給付開始。
1927年1月1日、健康保険法が施行され、給付が開始されました。
1927年1月1日、健康保険法が施行され、国民の医療保障制度が本格的に始動した。
この法律により労働者を中心に保険料を納めることで医療費の一部が給付される仕組みが整備された。
給付対象はケガや疾病による療養費などで、費用負担の軽減と公衆衛生の向上が期待された。
日本の社会保険制度の礎となり、後の国民健康保険や医療制度改革に大きな影響を与えた。
現在では国民皆保険制度の出発点として重要視されている。
1927年
1942年
日本で塩の配給制、家庭用ガスの使用割当制を開始。
1942年1月1日、塩の配給制と家庭用ガスの使用割当制が開始されました。
1942年1月1日、戦時下の物資統制強化の一環として塩の配給制と家庭用ガスの使用割当制が実施された。
塩は日本人の食生活に欠かせない必需品であり、配給券によって必要量のみ購入できる仕組みが導入された。
家庭用ガスも消費量を制限することで産業用や軍需用への転用を図り、資源の有効活用を目指した。
これらの統制は国民生活に大きな影響を与え、配給制度ならではの混乱や暗黙のやりくりが生じた。
終戦後まで続く物資不足の象徴的な制度として記録されている。
1942年
塩
配給
ガス
1943年
東京日日新聞と大阪毎日新聞が題字を「毎日新聞」に統一。
1943年1月1日、東京日日新聞と大阪毎日新聞が『毎日新聞』に社名を統一しました。
1943年1月1日、戦時下における新聞統制の一環として、東京日日新聞と大阪毎日新聞が題字を『毎日新聞』に統一して発行を開始した。
これにより読者は地域紙から全国紙への統合版を手にすることが可能となった。
統一後の毎日新聞は政府の報道統制に従いつつも、国内外のニュースを幅広く伝える役割を担った。
戦後には再編を経て現在の毎日新聞社となり、日本を代表する新聞社の一つとして発展した。
メディア統合の歴史的重要出来事として評価されている。
1943年
東京日日新聞
大阪毎日新聞
毎日新聞
1948年
二重橋を23年ぶりに開放し国民一般参賀。2日間に13万人の人出を記録。
1948年1月1日、皇居の二重橋が23年ぶりに一般開放され、新年参賀が復活しました。
この一般参賀は、戦前の帝室行事として親しまれていたが、戦後の混乱で中断されていました。二重橋開放は、国民主権の象徴として戦後日本の再出発を示す重要な出来事でした。1日と2日の2日間で約13万人の参賀者が訪れ、内堀の景観を背景に天皇皇后への祝賀ムードが広がりました。この行事は以降、正月恒例の国事行為として定着し、外国要人の訪問など外交行事とも連携して発展しました。
二重橋
1965年
「中部日本新聞」が題号を「中日新聞」に改題。
1965年1月1日、『中部日本新聞』が社名を『中日新聞』に改題しました。
『中部日本新聞』は1882年創刊の地方紙として愛知・岐阜を中心に発行されてきました。
社名変更により、より広域的な認知度向上と近代的イメージの確立を図りました。
『中日新聞』への改題は地域報道の強化と紙面刷新を目的とし、同時に版面デザインも一新。
その後、全国有数の発行部数を誇る大手紙として定着し、社会・文化面での影響力を高めました。
1965年
中日新聞
1987年
中国・北京の天安門広場で学生がデモ実施。83人が逮捕される。
中国・北京の天安門広場で学生によるデモが行われ、83人が逮捕されました。
1987年1月1日、中国・北京の天安門広場で学生らが政治改革や民主化を求める小規模なデモを実施しました。
当局は迅速に鎮圧を行い、参加者83人が逮捕され、後に釈放される者もいましたが一部には処罰が行われました。
1989年の大規模抗議運動の先駆けとも言われ、若者の政治関与や表現の自由への意識高揚に影響を与えました。
当時の中国政府はこれらの動きを厳しく取り締まり、政治統制を強化する姿勢を示しました。
この出来事は後の民主化運動の礎となり、国内外で注目される歴史的事件とされています。
1987年
1988年
営団地下鉄が全駅で終日禁煙を実施。
営団地下鉄全駅で駅構内の終日禁煙を開始。
1988年1月1日、営団地下鉄は全駅構内で終日禁煙を実施しました。これまで駅構内に設けられていた喫煙所も撤廃され、乗客や駅員の健康保護を目的とした先進的な施策です。公共交通機関での全面禁煙は国内初級の取り組みとして注目され、他の交通機関にも波及しました。禁煙環境の整備によりホームや改札付近の空気質が改善され、利用者からも好評を得ました。
1988年
営団地下鉄
駅
禁煙
1997年
名護市女子中学生拉致殺害事件の被害者が、沖縄県国頭郡国頭村の山中から白骨死体となって発見される。
名護市の女子中学生拉致殺害事件で、被害者の白骨死体が山中で発見。
1997年1月1日、沖縄県国頭郡国頭村の山中で、1996年に名護市で拉致された女子中学生の遺体が白骨状態で発見されました。この事件は地域社会に大きな衝撃を与え、長期にわたる捜索活動の末に判明した被害者の死は多くの人々の関心を集めました。警察は遺体を重要証拠と位置づけ、継続的な捜査を行いました。事件は子どもの安全対策や地域防犯意識向上の議論を呼び起こし、現在に至るまで一部未解決の要素が残されています。
1997年
名護市女子中学生拉致殺害事件
沖縄県
国頭郡
国頭村
2010年
日本年金機構が発足。
2010年1月1日、日本年金機構が発足し、国民年金と厚生年金の運営を一元化しました。
日本年金機構は年金制度の効率的運営と信頼回復を目的として設立されました。従来の社会保険庁の業務を引き継ぎ、全国の年金事務所を再編しました。システム統合やオンラインサービスの導入により、年金記録の管理精度が向上しました。コールセンターの整備や相談窓口の充実によって、利用者への対応力も強化されました。年金記録問題への対応と給付の迅速化が図られ、制度の安定化が期待されています。
2010年
日本年金機構