1909年

全米黒人地位向上協会 (NAACP) 設立。

1909年、アメリカで人種差別撤廃を目指す全米黒人地位向上協会(NAACP)が創設されました。
アフリカ系アメリカ人の権利保護と社会的地位向上を目的に、1909年にNAACPが設立されました。 NY州ナイアガラ会議を経て、W.E.B.デュボイスら指導者が中心となり、多くの会員が参加しました。 司法闘争やロビー活動を通じて、ジム・クロウ法の撤廃や投票権拡大を求める運動を展開しました。 NAACPはその後の公民権運動に大きな影響を与え、1954年のブラウン判決など歴史的勝利を支援しました。 今日でもアメリカにおける公民権擁護団体として活動を続けています。
1909年 全米黒人地位向上協会
1921年

第一次大本事件。出口王仁三郎ら大本の幹部が不敬罪で一斉検挙。

1921年、政府が大本教の幹部を不敬罪で一斉検挙し、信教の自由と国家権力の緊張が表面化しました。
大本(おおもと)は神道系の新興宗教で、出口王仁三郎らが指導していました。 1921年2月12日、日本政府は不敬罪を適用し、教団の主要幹部を全国で逮捕・勾留。 背景には教団内部の神典問題や政府の教派神道統制政策があり、信教の自由が制限されました。 この第一次大本事件は、後の宗教弾圧や大本崩れにつながり、1935年の第二次事件へと続きます。 歴史的には近代日本における国家と宗教の関係を考える上で重要な出来事とされています。
1921年 大本事件 出口王仁三郎 大本 不敬罪
1958年

新宿・伊勢丹でメリーチョコレートが最初のバレンタイン板チョコを販売。ハート型は翌年から販売。バレンタインチョコレートのはしり。

1958年、新宿の伊勢丹でメリーチョコレートが初めてバレンタイン向けの板チョコを発売しました。 翌年からハート型が加わり、日本におけるバレンタインチョコレート文化の先駆けとなった出来事です。
1958年2月12日、新宿・伊勢丹の百貨店内でメリーチョコレートがバレンタイン用の板チョコを初めて販売。 それまで贈答用チョコは高級品が中心でしたが、板チョコの手頃さが女性たちの贈り物に広く普及。 翌1959年にはハート型チョコが登場し、現在のような「義理チョコ」「本命チョコ」の文化が芽生えました。 以降、日本全国の百貨店や菓子メーカーが企画・販売を競い合い、2月14日のバレンタイン市場が確立。 今日では日本独自のチョコレートマーケットを象徴するイベントとして定着しています。
1958年 伊勢丹 メリーチョコレート バレンタイン
1979年

広島競輪場で誤った着順発表を契機に約1万人の群衆により騒然となる。一部が暴徒化が建物や車両に放火。

1979年、広島競輪場での誤った着順発表が原因で観客約1万人が騒然となり、一部が暴徒化しました。
1979年2月12日、広島競輪場でのレース結果発表に誤りが発生し、観客に誤情報が伝えられました。 観客からは不満が爆発し、約1万人がスタンドや場内に押し寄せ騒動に発展。 一部の群衆は興奮し建物や投票機器、場内車両に放火するなどの暴徒行為を行いました。 この事件を受けて競輪場のシステム改善や警備強化が進められ、観客保護策が大きく見直される契機となりました。 メディアでも大きく報道され、競輪業界全体の信頼回復が急務とされました。
1979年 広島競輪場
2013年

グアム通り魔殺人事件。日本人観光客3人が死亡、11人が負傷した。

2013年、グアムで日本人観光客を狙った通り魔殺人事件が発生し、3名が死亡、11名が負傷。
2013年2月12日、米領グアムの中心部で日本人観光客らを対象とした通り魔殺人事件が発生しました。 犯人は無差別に通行人を襲い、逃走前に複数の人々を刺傷。 事件により日本人観光客3名が死亡、11名が負傷し、現地は一時騒然としました。 動機は不明とされ、犯人はその後逮捕されました。 安心・安全な観光地として知られていたグアムでの事件は、渡航先での安全対策の重要性を改めて浮き彫りにしました。