1229年

ヤッファ条約 (1229年): 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝のスルタン・アル=カーミルが、10年間の休戦と十字軍側へのエルサレム返還で合意。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルが、武力行使を伴わず10年間の休戦とエルサレム返還で合意した歴史的条約。
1229年2月18日、ヤッファで神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルが会談を行った。 交渉の結果、エルサレムを含む聖地の領有権が十字軍側に返還され、10年間の休戦が取り決められた。 フリードリヒ2世は大規模な戦闘を回避しつつ外交的に聖地を取り戻すという異例の手法を示した。 一方、教皇庁など一部十字軍勢力は交渉中心の和平に反発した。 この条約は中東地域の勢力均衡を一時的に安定させ、歴史的な外交成果として注目される。
1229年 ヤッファ条約 (1229年) 英語版 神聖ローマ皇帝 フリードリヒ2世 アイユーブ朝 スルタン アル=カーミル エルサレム
永禄2年1月11日

少弐冬尚が龍造寺隆信に破れ自害し、少弐氏が滅亡。

少弐冬尚が龍造寺隆信との戦いに敗れ自害し、名門少弐氏が滅亡した戦国期の重要な転機。
1559年2月18日、少弐氏の当主少弐冬尚は九州北部で勢力を保持していたが、龍造寺隆信に率いられた軍勢と交戦した。 激戦の末に敗北した少弐冬尚は自害し、少弐氏は名門ながら滅亡へと追い込まれた。 この戦いは龍造寺氏の勢力拡大を決定づけ、九州地域の勢力図を大きく塗り替えた。 少弐氏滅亡後、龍造寺隆信は有力な戦国大名として台頭し、後の地域統一にも影響を与えた。 戦国時代末期の権力移行を象徴する出来事として歴史に刻まれている。
1559年 永禄 1月11日 少弐冬尚 龍造寺隆信 少弐氏
1587年

元スコットランド女王メアリーが、イングランド女王エリザベス1世の暗殺計画バビントン事件に加担したことにより処刑される。

スコットランド女王メアリーがバビントン事件への関与で処刑され、王権と陰謀が交錯したドラマを生んだ。
1568年にスコットランド王位を退位させられたメアリー・ステュアートはイングランドに亡命し、長年幽閉されていた。 1586年、バビントン事件と呼ばれるエリザベス1世暗殺計画への関与が発覚し、手紙が証拠として提出された。 メアリーは反逆罪で裁かれ、1587年2月18日にロンドン近郊の城で処刑された。 彼女の死はカトリックとプロテスタントの対立に新たな火種を投じ、欧州政治に大きな衝撃を与えた。 メアリーの処刑は王権の正統性を巡る争いを象徴する出来事として知られている。
1587年 スコットランド メアリー イングランド エリザベス1世 バビントン事件 英語版
1745年

マタラム王国の王都がソロに移され、スラカルタに改称。

マタラム王国の王都が移転され、ジャワ島中部にスラカルタ(ソロ)が新たに成立した。
1745年2月18日、ジャワ島中部のマタラム王国で王都が旧都カルタスラからソロへ移され、スラカルタと改称された。 この移転は旧都の治安とインフラ再建を図るために決定され、王権の安定化を目的としたものであった。 新王都にはクタン・カロン(王宮)が建設され、周辺地域の商業と文化の発展を促した。 オランダ東インド会社支配下でも重要な拠点となり、現在のソロ市(スラカルタ)に至る基盤が築かれた。 王都の移転はマタラム王国の再興と地域統治の強化を象徴する出来事である。
1745年 マタラム王国 スラカルタ
明和9年/安永元年1月15日

田沼意次が老中に就任する。

田沼意次が老中に就任し、商業振興と幕政改革を推進した“田沼時代”が始まった。
1772年2月18日(明和9年/安永元年1月15日)、田沼意次が江戸幕府の老中に任命された。 それまで側用人や大目付として幕政に参画していた田沼は、柔軟な人事戦略を展開して知られていた。 老中就任後は貨幣改鋳や株仲間の公認など商業振興策を積極的に推進し、幕府財政の立て直しを図った。 一方で贈収賄の批判もあり、批判と支持の両面を併せ持つ政治手腕を発揮した。 田沼時代と称されるこの期間は、享保改革以来の大規模な幕政改革として注目されている。
1772年 明和 安永 1月15日 田沼意次 老中
1800年

フランス革命戦争: マルタ護送船団の海戦でイギリスが勝利。

フランス革命戦争中、マルタ護送船団を襲撃した英海軍が勝利を収めた海戦。
1800年2月18日、フランス革命戦争の地中海作戦でマルタへ向かうフランス護送船団がイギリス艦隊と交戦した。 イギリス海軍は優れた火力と航法技術を活かして護送船団を撃破し、補給路を断った。 この勝利によりマルタ島の包囲が進展し、最終的にフランス守備隊は降伏して島は英領となった。 地中海におけるイギリス海軍の制海権確立に大きく寄与し、ナポレオン戦争期の戦略的拠点を確保した。 海戦は海上補給戦の重要性を示す事例として歴史に刻まれている。
1800年 フランス革命戦争 マルタ護送船団の海戦
1874年

佐賀の乱: 江藤新平ら反乱軍が、佐賀城の佐賀県庁に籠もる佐賀県権令岩村高俊の部隊と戦闘し、政府軍が敗走。

佐賀城を拠点に江藤新平ら旧士族が政府軍を一時退けた、明治初期の大規模武装反乱。
1874年2月18日、江藤新平ら旧佐賀藩士の反乱軍は佐賀城の佐賀県庁(旧佐賀城)を攻撃し、岩村高俊指揮の政府軍を一時退却させた。 反乱は廃藩置県や秩禄処分に伴う元藩士の不満が背景にあり、士族の特権喪失への抵抗として起きた。 政府は山県有朋や児玉源太郎を中心とする鎮圧軍を急派し、数日間の戦闘の末に反乱を制圧した。 この事件は明治政府に対する初の武装反乱として衝撃を与え、維新後の治安と統治体制の課題を浮き彫りにした。 反乱後、江藤新平ら主要指導者は処罰され、旧士族層の反抗運動は以降厳しく取り締まられるようになった。
1874年 佐賀の乱 江藤新平 岩村高俊
1885年

マーク・トウェインの小説『ハックルベリー・フィンの冒険』が刊行。

マーク・トウェインの代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』が刊行され、米文学に新風をもたらした。
1885年2月18日、アメリカの作家マーク・トウェインによる小説『ハックルベリー・フィンの冒険』が刊行された。 物語は少年ハックルベリー・フィンと逃亡奴隷ジムがミシシッピ川を下る冒険を描き、ユーモアと社会風刺を織り交ぜている。 トウェインは当時の南部社会や人種問題を率直な口語体で描写し、リアリズム文学の先駆けと評価された。 刊行当初から議論を呼び、アメリカ文学の古典として世界的に高い評価を得ている。 その後の冒険小説や児童文学にも多大な影響を与え、現在も広く読み継がれている。
1885年 マーク・トウェイン ハックルベリー・フィンの冒険
1908年

日本からの移民を制限する日米紳士協定締結。

日米両政府が日本人移民の制限で合意し、移民政策に転機をもたらした協定。
1908年2月18日、米国と日本は日米紳士協定を結び、日本政府は米国向けの労働者移民を大幅に制限することに同意した。 この協定は米国内の反日感情や排斥運動を背景に、米国が正式な移民禁止法を回避する形で締結された。 日本政府は新規渡航者を抑制し、既存の日本人移民には市民権や土地所有を認めない米国側の方針を維持させた。 結果として1908年以降の日系移民流入は急減し、1924年の排斥法制定まで続く移民政策の基礎となった。 日米紳士協定はその後の日米関係と移民政策を語る上で重要な契機となった。
1908年 日米紳士協定
1911年

インドの万国博覧会の行事として、世界で初めて飛行機で郵便物が運ばれた。

インド万国博覧会の行事で世界初の飛行機による郵便物輸送が行われ、航空郵便の幕開けとなった。
1911年2月18日、インドで開催された万国博覧会の特別行事として、飛行機を用いた郵便物の輸送が世界で初めて行われた。 飛行士アンリ・ペケがアラハバード近郊で約13キロメートルの距離を飛び、約6500通の手紙や葉書を運んだ。 飛行時間は約13分で、証明紙を封筒に貼付して郵便物として取り扱われた。 この成功は航空技術の発展と郵便輸送の革新を象徴し、各国で航空郵便導入を促す契機となった。 航空郵便はその後の国際輸送網構築に大きな影響を及ぼし、現代の航空貨物輸送の先駆けとなった。
1911年 インド
1913年

レイモン・ポアンカレがフランスの大統領に就任。

1913年2月18日、レイモン・ポアンカレがフランス第10代大統領に就任し、国内外政策を主導しました。
レイモン・ポアンカレ(1860-1934)は法学者としても知られる政治家で、前任者アルマン・ファリエールから大統領職を引き継ぎました。彼は国内の政治的安定化と対独協力の強化を掲げ、第一次世界大戦に備えた国防体制の整備を進めました。任期中は経済復興や軍備増強を推進し、戦後の和平交渉にも積極的に関与しました。1920年に退任後は首相を三度務めるなど、フランス第三共和政期を代表する指導者となりました。
1913年 レイモン・ポアンカレ フランスの大統領
1930年

アメリカの天文学者クライド・トンボーが冥王星を発見。

1930年2月18日、天文学者クライド・トンボーが冥王星を発見し、新たな太陽系天体として注目を集めました。
クライド・トンボー(1906-1997)はローウェル天文台で『惑星X』の探索を続け、観測写真を比較して冥王星を発見しました。この発見は当時太陽系第9惑星とされ、全世界の科学界で大きな話題となりました。2006年には国際天文学連合によって冥王星は『矮惑星』に分類し直されました。2015年には探査機ニューホライズンズがフライバイを行い、多様な地形や氷質の表面を撮影するなど新たな知見をもたらしました。トンボーの功績は天文学史における重要なマイルストーンとなっています。
1930年 クライド・トンボー 冥王星