二・二六事件の日

国・地域: 日本

1936年(昭和11年)のこの日、二・二六事件が発生した。陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃した。内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。

1936年に発生した青年将校らによるクーデター未遂事件を振り返る日です。 昭和史の転換点として知られています。
昭和11年2月26日、皇道派の青年将校約1500名が首相官邸などを襲撃した二・二六事件が起きました。 内大臣と蔵相が殺害され、永田町一帯が占拠されるなど政情は一時緊迫化しました。 事件は天皇の命令で鎮圧され、参与将校は最終的に多数が処刑・懲戒されました。 軍内部の派閥抗争と政治介入の危うさを象徴し、戦前日本の軍事政治への道を開いた出来事と評価されています。 現在も各地で当時を振り返る研究や記念講演が行われています。
二・二六事件 日本 1936年

咸臨丸の日

国・地域: 日本

万延元年旧暦2月26日(1860年3月18日)、幕府が派遣した使節団が、咸臨丸による37日間の太平洋横断航海を終えてサンフランシスコに到着した。

幕府使節団を乗せた咸臨丸がサンフランシスコに到着した日です。 日本の太平洋横断航海の偉業を記念します。
万延元年旧暦2月26日(西暦1860年3月18日)、幕府が派遣した使節団を乗せた咸臨丸がサンフランシスコに到着しました。 37日間におよぶ太平洋横断航海は当時の世界最長航路を記録し、日本の航海技術を証明しました。 アメリカ側との親善交流や技術情報の交換が行われ、明治維新への布石となる国際関係の構築に貢献しました。 乗組員には中浜万次郎(ジョン万次郎)が航海技術を指導し、その経験が後の日本海軍設立に役立ちました。 咸臨丸の遠征は日本の近代化史における重要なマイルストーンです。
日本 旧暦2月26日 1860年 3月18日 咸臨丸 サンフランシスコ

脱出の日

国・地域: 日本

1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルトが島を脱出してパリに向かった。

ナポレオン・ボナパルトがエルバ島から脱出した日です。 再びフランスへ帰還する幕開けとなりました。
1815年2月26日、皇帝に退いたナポレオンが流刑地エルバ島を脱出しました。 小艦艇で海を渡り師団を集結させ、ゴルフ=ジュアンに上陸。 この後「百日天下」と呼ばれる第二次政権を築きました。 ヨーロッパ諸国は連合軍を結成し、ワーテルローの戦いでナポレオンを最終的に敗退させました。 歴史の流れを一変させた劇的な始動の日として知られています。
日本 1815年 エルバ島 ナポレオン・ボナパルト