天正8年2月16日
織田信長が、安土城下の沼を埋め立て、イエズス会のイタリア人宣教師オルガンティノに、セミナリヨ(神学校)の建設用地を与える。
織田信長が安土城下の土地を神学校建設用地としてイエズス会に提供。
天正8年(1580年)2月16日、織田信長は安土城下の沼地を埋め立て、イエズス会宣教師オルガンティノにセミナリヨ(神学校)建設用地を与えました。
これは日本におけるキリスト教教育施設の初期事例とされ、ヨーロッパとの文化交流を象徴する出来事です。
信長の寛容政策の一環で、欧州の宣教師が自由に活動できる環境を整備しました。
神学校では教義教育や神職育成が行われ、西洋の学問や技術が日本に伝わる契機となりました。
安土城下の国際色豊かな景観は、織田政権の開かれた姿勢を示しています。
1580年
天正
2月16日
織田信長
安土城
イエズス会
オルガンティノ