天正8年2月16日

織田信長が、安土城下の沼を埋め立て、イエズス会のイタリア人宣教師オルガンティノに、セミナリヨ(神学校)の建設用地を与える。

織田信長が安土城下の土地を神学校建設用地としてイエズス会に提供。
天正8年(1580年)2月16日、織田信長は安土城下の沼地を埋め立て、イエズス会宣教師オルガンティノにセミナリヨ(神学校)建設用地を与えました。 これは日本におけるキリスト教教育施設の初期事例とされ、ヨーロッパとの文化交流を象徴する出来事です。 信長の寛容政策の一環で、欧州の宣教師が自由に活動できる環境を整備しました。 神学校では教義教育や神職育成が行われ、西洋の学問や技術が日本に伝わる契機となりました。 安土城下の国際色豊かな景観は、織田政権の開かれた姿勢を示しています。
1580年 天正 2月16日 織田信長 安土城 イエズス会 オルガンティノ
文久2年2月11日

皇女和宮の降嫁: 幕末の日本で徳川家茂と和宮親子内親王(皇女和宮)の婚儀が執り行われる。

皇女和宮と徳川家茂の婚儀が幕末日本で執り行われた。
文久2年(1862年)2月11日、皇女和宮親子内親王が徳川家茂のもとへ降嫁し、正式に婚儀が執り行われました。 この政略結婚は朝廷と幕府の和解と結束を図るもので、幕末の混乱期における重要な政治的意図がありました。 和宮は公武合体策の象徴として、江戸城での生活を余儀なくされましたが、幕府内外に大きな注目を集めました。 婚儀後も和宮の存在は政治的圧力や尊号問題などさまざまな問題を呼び、幕末史に影響を与えました。 幕末日本の歴史を語る上で欠かせない、政治と個人を繋ぐ象徴的な出来事です。
1862年 文久 2月11日 皇女 幕末 日本 徳川家茂 和宮親子内親王 婚儀
1906年

東京都で電車焼き討ち事件が発生。東京市内の東京市街鉄道・東京電車鉄道・東京電気鉄道の電車運賃値上げに市民が反対。鉄道会社・変電所・市庁舎を巡るデモが暴徒化し、電車の焼き討ち・新聞社への襲撃が発生した。

東京市内で電車運賃値上げに反対する市民の抗議が暴徒化し、電車焼き討ち事件が発生しました。
1906年3月11日、東京市内で東京市街鉄道など複数の鉄道会社が運賃値上げを実施したことに対し市民の反発が高まりました。抗議デモは鉄道会社や変電所、市庁舎を巡る活動へと発展し、一部が暴徒化して電車の車両に放火される事態となりました。新興の電車網は当時の近代都市生活を支える重要なインフラでしたが、値上げは庶民の生活に大きな負担を強いました。焼き討ち事件は警察との衝突も招き、多くの逮捕者が出るなど社会不安を象徴する事件となりました。この出来事は市民運動と行政対応の在り方について議論を呼び起こしました。
1906年 東京都 電車焼き討ち事件 東京電車鉄道