宝永2年3月12日

伊藤仁斎

(1627 - 1705)

儒学者

儒学者
江戸時代前期の儒学者、古義学派の祖。
伊藤仁斎(1627-1705)は江戸時代前期の儒学者。 古義学派を創始し、孟子や論語の原典研究を重視した。 江戸で私塾を開き、多くの門弟を育成。 倫理や道徳の学問を通じて、江戸学問界に大きな影響を与えた。 後世の儒学研究や日本思想の発展に寄与した重要人物である。
1705年 宝永 3月12日 伊藤仁斎 儒学者 1627年
1735年

ウィリアム・デラム

(1657 - 1735)

聖職者、科学者、図鑑著者

聖職者 科学者 図鑑著者
イギリスの聖職者で自然哲学者。音速測定や神学書を著した。
ウィリアム・デラム(1657-1735)はイングランドの教区聖職者であり、自然哲学者としても活動しました。 イギリス内陸部で音速を初めて実験的に測定した研究で知られています。 『Physico-Theology』などの著書では自然現象を通して神の存在を論じました。 植物分類や地質観察にも関心を持ち、詳細な観察記録を残しました。 その多面的な業績は神学と科学を結びつける試みとして評価されています。
1735年 ウィリアム・デラム 1657年
文化7年3月2日

小野蘭山

(1729 - 1810)

本草学者

本草学者
江戸時代の本草学者。多くの薬用植物を分類・研究した。
小野蘭山(1729-1810)は日本の本草学者で、和漢の薬用植物を研究しました。 オランダ語や中国の薬学書を参照し、科学的手法で植物を分類しました。 代表作『本草綱目啓蒙』では全国の薬用植物を詳細に記述しました。 幕府や諸大名にも本草学を講義し、多くの門人を育てました。 日本における近代植物学受容の先駆者として高く評価されています。
1810年 文化 3月2日 小野蘭山 本草学者 1729年
1866年

トーマス・ホジキン

(1798 - 1866)

内科医

内科医
イギリスの内科医・病理学者。ホジキン病を最初に報告。
トーマス・ホジキン(1798-1866)は英国の医師・病理学者です。 リンパ腫の一種であるホジキン病を最初に記載し、病名の基礎を築きました。 ガイズ病院で教育に携わり、多くの医学生を指導しました。 病理学的研究に先駆的に取り組み、病理学の発展に貢献しました。 その功績は現代のがん研究や診断学にも大きな影響を与えています。
1866年 トーマス・ホジキン 1798年
1900年

ジョゼフ・ベルトラン

(1822 - 1900)

数学者

数学者
フランスの数学者。数論や確率論の分野で多大な業績を残した。
1822年に生まれ、パリ大学で数学を学ぶ。 確率論の研究においてベルトランのパラドックスを提起し、基礎理論を発展させた。 素数分布に関するベルトランの小定理を証明し、数論に重要な成果を残す。 数学教育にも力を注ぎ、多くの教科書を執筆して後進の育成に貢献。 1900年4月5日に没し、その研究は現代数学に大きな影響を与え続けている。
1900年 ジョゼフ・ベルトラン 1822年
1912年

岸本辰雄

(1851 - 1912)

法学者、明治大学共同創設者

法学者 明治大学共同創設者
法学者であり、明治大学の共同創設者として法学教育の基盤を築いた学者。
1851年に生まれ、法学を志して学究の道を歩む。 欧米法制の研究を進め、日本の近代法制度確立に寄与した。 1881年に渋沢栄一らと共に明治大学を創設し、教育体制の構築に奔走。 大学では講義や研究に力を注ぎ、多くの法曹・研究者を育成。 1912年4月5日に没し、その功績は現在の法学教育にも影響を与えている。
1912年 岸本辰雄 法学者 明治大学 1851年
1918年

ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ

(1845 - 1918)

地理学者

地理学者
近代フランス地理学の父と称される地理学者。景観学派を創始した。
1845年にボルドーで生まれ、地理学の研究に没頭。 自然地理学と人文地理学を統合するアプローチを提唱。 「景観(paysage)」の概念を確立し、地域研究の基礎を築いた。 フランス地理学会の設立に関与し、多くの弟子を育成。 1918年4月5日に没し、その方法論は現代地理学にも受け継がれている。
1918年 ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ 地理学者 1845年
1923年

ジョージ・ハーバート (第5代カーナヴォン伯)

(1866 - 1923)

貴族、考古学者、政治家

貴族 考古学者 政治家
イギリスの貴族で政治家、考古学への情熱からツタンカーメン王墓発掘を支援した。
1866年に生まれ、保守党の上院議員として活動。 植民地問題や外交政策にも関わり、政府役職を歴任。 考古学愛好家としてエジプト学を支援し、ツタンカーメン王墓発見の資金提供を行う。 1923年4月5日にカイロ近郊で感染症により没し、「王家の呪い」の噂を呼んだ。 政治と文化の両面で功績を残し、世界的なエジプト熱を巻き起こした。
1923年 ジョージ・ハーバート (第5代カーナヴォン伯) 1866年
1924年

ビクトル・ヘンゼン

(1835 - 1924)

博物学者

博物学者
ドイツの博物学者・海洋生物学の先駆者。プランクトン概念を確立した。
1835年にハンブルクで生まれ、動物学を学ぶ。 海洋生物学の研究に従事し、プランクトンという概念を提唱。 キール大学教授として多くの研究者を育成。 海洋生態研究の基礎を築き、博物学分野に貢献。 1924年4月5日に没し、その業績は現代の海洋科学に生き続ける。
1924年 ビクトル・ヘンゼン 1835年
1940年

ロベール・マイヤール

(1872 - 1940)

構造家

構造家
スイスの構造家(構造エンジニア)。革新的な鉄筋コンクリート橋梁設計で知られる。
1872年スイスに生まれ、工学を学んだ後、構造家として活動を開始。 薄く美しいアーチ形状の鉄筋コンクリート橋を数多く設計し、合理性と審美性を両立。 代表作にはザルギナトーベル橋やシュワンダバッハ橋があり、その構造は後世の技術者にも大きな影響を与えた。 マイヤールの設計手法は世界中で評価され、今日でも評価され続けている。 1940年に68歳で死去。スイスの土木工学史に不朽の功績を残した。
1940年 ロベール・マイヤール 構造家 1872年
1941年

ナイジェル・グレズリー

(1876 - 1941)

蒸気機関車技術者

蒸気機関車技術者
イギリスの蒸気機関車技術者。LNERで名機を次々と生み出したレジェンド。
1876年イングランドに生まれ、鉄道技術者としてキャリアをスタート。 1923年以降、LNER(ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道)の主任機関車技師を務める。 『フライング・スコッツマン』や『マラード』などの高速機関車を設計し、世界最高速度記録を樹立。 流線形デザインと機能性を融合させたスタイルは鉄道デザインの金字塔となった。 1941年、64歳で逝去。その功績はイギリス鉄道史に永く刻まれている。
1941年 ナイジェル・グレズリー 蒸気機関車 1876年
1946年

桂田富士郎

(1867 - 1946)

医師、病理学者

医師 病理学者
日本の医師・病理学者。病理学の研究と教育に貢献した。
1946年 桂田富士郎 1867年