1770年

トーマス・ゼーベック

(1770 - 1831)

物理学者、医師

物理学者 医師
ドイツの物理学者・医師。熱電効果(ゼーベック効果)を発見した。
1770年にドイツで生まれ、医学と物理学を学ぶ。1821年に異なる金属間で生じる温度差が電流を生む熱電効果を発見し、後に「ゼーベック効果」と命名された。光学や磁気の研究にも貢献し、自然現象の解明に寄与。1831年に没したが、その功績は現代の熱電研究に大きな影響を与え続けている。
1770年 トーマス・ゼーベック 物理学者 医師 1831年
1806年

イザムバード・キングダム・ブルネル

(1806 - 1859)

技術者

技術者
イギリスの技術者・土木技師。鉄道や船舶、橋梁など多くの革新的プロジェクトを手がけた。
1806年に生まれ、土木工学を学んで技術者として歩む。グレート・ウェスタン鉄道の建設で標準軌を提唱し、蒸気船『グレート・ブリテン号』『ティレーニア号』を設計。トンネルや橋梁にも革新的な工法を導入し、19世紀産業革命を支えた。1859年に没した。
1806年 イザムバード・キングダム・ブルネル 技術者 1859年
1841年

ウィリアム・ジョージ・アストン

(1841 - 1911)

外交官、日本学者

外交官 日本学者
イギリスの外交官・日本学者。日本語文法や古典資料の研究で知られる。
ウィリアム・ジョージ・アストンは1841年に生まれ、イギリス外務省に入省して外交官としてアジアに従事しました。日本には横浜や函館の領事館で勤務しながら、日本語と文化の研究に没頭しました。彼は『日本語文法』や古典文学の翻訳など多くの著作を残し、西洋における日本学の基礎を築きました。帰国後はオックスフォード大学で日本語講師を務め、後進の育成にも貢献しました。1911年に死去するまで、東西の学術交流に大きな足跡を残しました。
1841年 ウィリアム・ジョージ・アストン 外交官 日本学者 1911年
1869年

エリ・カルタン

(1869 - 1951)

数学者

数学者
フランスの数学者。微分幾何学とリー群論の発展に大きく寄与した。
エリ・カルタンは1869年にフランスで生まれ、パリ大学で数学を学びました。彼は微分形式の理論を発展させ、外微分形式やリー群の理論的枠組みを確立しました。カルタンの運動する座標系の手法は後の数学や物理学において不可欠とされます。特に一般相対性理論の基礎となる数学的構造にも貢献し、多くの弟子を育てました。1951年に死去し、カルタン幾何学としてその名が永く残っています。
1869年 エリ・カルタン 数学者 1951年
1878年

マルセル・グロスマン

(1878 - 1936)

数学者

数学者
スイスの数学者。アインシュタインと協働し一般相対性理論の数学的基盤を築いた。
マルセル・グロスマンは1878年にチューリッヒで生まれ、工学と数学を学びました。幼馴染のアルベルト・アインシュタインと友情を育み、1913年に共同で一般相対性理論の数理構造を研究しました。グロスマンはリーマン幾何学の手法を導入し、一般相対性理論の方程式を整備する上で重要な役割を果たしました。その功績により、数学における具体的な幾何学的構築が物理学に応用される道を開きました。1936年に他界し、相対性理論研究史において忘れ難い名前を残しました。
1878年 マルセル・グロスマン 1936年
1881年

杉森孝次郎

(1881 - 1968)

評論家、政治学者、社会学者

評論家 政治学者 社会学者
日本の評論家・政治学者・社会学者。政治と社会問題への洞察で知られる。
杉森孝次郎は1881年に生まれ、評論家として新聞・雑誌で政治社会問題を鋭く論じました。東京帝国大学で社会科学を研究し、政治学や社会学の理論的研究にも取り組みました。戦前は社会主義や民主主義を擁護し、言論の自由や人権の重要性を訴えました。戦後も学界やメディアで活躍し、日本の復興と民主主義定着に寄与しました。1968年に逝去し、その洞察は今日の政治学・社会学研究においても評価されています。
1881年 杉森孝次郎 評論家 政治学者 社会学者 1968年
1907年

稲葉秀三

(1907 - 1996)

経済評論家

経済評論家
日本の経済評論家。戦後の経済動向を一般向けにわかりやすく解説した。
1907年に生まれ、戦後の高度経済成長期に経済評論家として注目を集めた。新聞・雑誌への寄稿や講演を通じて、一般読者に経済の仕組みや動向をわかりやすく伝えた。企業経営から家計、国際経済まで幅広いテーマを扱い、消費者の視点を重視した分析で知られる。テレビ番組にも出演し、経済報道の普及に貢献した。1996年に亡くなるまで、現代経済の解説者として影響力を保ち続けた。
1907年 稲葉秀三 経済評論家 1996年
1908年

宗像誠也

(1908 - 1970)

教育学者

教育学者
日本の教育学者。教育制度や学習評価の研究で知られる。
1908年に生まれ、教育学の研究に生涯を捧げた。学校教育のカリキュラム開発や評価方法の研究を進め、理論と実践の橋渡しを目指した。大学教授として多くの教員を育成し、教育現場への提言を行った。論文や著書を通じて日本の教育改革に貢献し、戦後教育の発展に影響を与えた。1970年に亡くなるまで、教育学界で高い評価を受け続けた。
1908年 宗像誠也 教育学者 1970年
1910年

白川静

(1910 - 2006)

漢文学者

漢文学者
日本を代表する漢字学者。古代中国の文字・文化研究で国際的にも高い評価を受けた。
1910年に生まれ、京都大学で教授を務めながら漢字研究を行った。『字統』や『字通』などの著作で漢字の成り立ちや文化的背景を体系的に解明し、文字学界に大きな影響を与えた。古代中国の金石文や甲骨文の研究を通じて、漢字の歴史的変遷を詳述した。研究成果は日本国内のみならず海外の学術界でも高く評価され、後進の研究者にも多大な示唆を与えた。2006年に亡くなるまで、半世紀以上にわたる精力的な研究で知られた。
1910年 白川静 漢文学者 2006年
1919年

ジョン・プレスパー・エッカート

(1919 - 1995)

ENIAC開発者

ENIAC開発者
現代コンピュータの基礎を築いた電子工学者。ENIAC開発の中心人物です。
ジョン・プレスパー・エッカート(1919-1995)はアメリカの電子工学者で、世界初の汎用電子式コンピュータENIACを共同開発しました。 1940年代半ば、メアリー・ブレスウェイトと共にペンシルベニア大学でプロジェクトを推進。 ENIACは計算速度と汎用性の点で従来の機械式計算機を大きく凌駕し、計算機科学の発展に道を開きました。 その後もUNIVAC Iの開発に携わり、商用コンピュータの先駆けを生み出しました。 エッカートの業績は現代のIT社会の基盤となり、多くの技術者に影響を与え続けています。
1919年 ジョン・プレスパー・エッカート ENIAC 1995年
1924年

村山定男

(1924 - 2013)

天文学者

天文学者
日本の天文学者として、変光星の観測・研究に大きく貢献しました。
村山定男(1924-2013)は日本の天文学者で、東京天文台(現国立天文台)に所属しました。 特に変光星の光度変化を詳細に記録する研究で国際的に評価され、学術論文を多数発表。 観測機器の改良にも取り組み、国内外の天文学コミュニティに多くのデータを提供しました。 また、後進の育成にも情熱を注ぎ、多くの研究者を指導。 天文教育の普及活動にも力を入れ、一般向け講演や天体観望会を主催していました。
1924年 村山定男 天文学者 2013年
1927年

瀧本敦

植物学者

植物学者
瀧本敦