1923年
宮城県鶯沢村で670戸、岩手県軽米村で550戸焼失する大火。
宮城県鶯沢村と岩手県軽米村で大規模な火災が発生し、計1200戸以上が焼失した災害です。
1923年4月26日、宮城県鶯沢村で670戸、岩手県軽米村で550戸が焼失する大火が発生しました。強風の影響で火勢が急速に拡大し、当時の消防力では消火活動が追いつきませんでした。多くの住民が避難を余儀なくされ、一時的に集落全体が壊滅的な被害を受けました。被災地では救援物資の輸送や仮設住宅の設置が急務となり、県や慈善団体による支援が行われました。この火災は山間部の集落での防火対策の必要性を浮き彫りにし、後の消防体制強化につながりました。
1923年
宮城県
鶯沢村
岩手県
軽米村
1942年
満州国・本渓湖炭鉱で粉塵爆発。坑夫1,549人が死亡。
満州国の本渓湖炭鉱で発生した粉塵爆発により、多数の坑夫が犠牲になりました。
1942年4月26日、満州国(現在の中国遼寧省)にあった本渓湖炭鉱にて粉塵爆発が発生。
坑内に蓄積した微細な石炭粉が引火し、大規模な爆風と火災を引き起こしました。
この事故で1,549名の坑夫が死亡し、当時の炭鉱技術や安全管理の脆弱さが浮き彫りとなりました。
粉塵爆発は狭い坑道における重大リスクとして問題視され、その後の採掘現場の安全基準強化につながりました。
1942年
満州国
本渓湖炭鉱
1974年
山形県大蔵村で大規模な地すべりが発生。死者負傷者30名、被害家屋等20戸。
1974年4月26日、山形県大蔵村で大規模な地すべりが発生し、多数の死傷者と家屋被害が出た。
当日は降雨による土壌の緩みが蓄積し、急斜面が崩壊して大規模な地すべりを引き起こした。
崩落した土砂は村内の住宅地に流れ込み、20戸の家屋が被災。
死者・負傷者合わせて約30名の人的被害が発生し、地域社会に大きな衝撃を与えた。
地すべり対策の必要性が再認識され、以降、斜面崩壊防止のための法整備やモニタリング技術が強化された。
被災地では復旧作業とともに住民の生活再建支援が行われた。
1974年
山形県
大蔵村
地すべり
1986年
ソ連・ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で大規模事故。(チェルノブイリ原子力発電所事故)
チェルノブイリ原子力発電所の4号炉で爆発事故が発生し、史上最悪級の原子力災害となった。
1986年4月26日午前1時23分、ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で実験中に炉心爆発が発生。
放射性物質が大気中に大量放出され、広範囲にわたり深刻な放射能汚染を引き起こした。
周辺のプリピャチ市など約30万人が避難を余儀なくされ、多数の急性被曝者が発生。
事故後、コンクリートシェルター(サルコファガス)が建設され、長期的な封じ込め作業が行われた。
この事故は国際的に原子力安全規制強化と事故対応マニュアルの見直しを促す契機となった。
1986年
ソ連
ウクライナ
チェルノブイリ原子力発電所
チェルノブイリ原子力発電所事故
1994年
中華航空140便墜落事故。台北発名古屋行きのエアバスA300が着陸に失敗し、264人が死亡。
1994年4月26日、中華航空140便(エアバスA300)が台北から名古屋へ向かう際に着陸に失敗し墜落、乗員乗客264名が死亡しました。
事故機はブレーキ操作系統の異常と誤操作が重なり、着陸ファイナルアプローチ中に高度を急激に喪失した。管制との交信は混乱が生じ、乗客乗員に避難の余裕はほとんどなかった。事故現場は河川敷で機体は大破し炎上した。捜査当局は機長の訓練状況や整備不良など複数要因を指摘した。以降、同型機の保守点検の強化や乗務員の訓練見直しが行われた。台湾と日本の航空当局は安全基準の統一に取り組んだ。
1994年
中華航空140便墜落事故
名古屋
エアバスA300