1833年

フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン

(1833 - 1905)

地理学者、探検家

地理学者 探検家
ドイツの地理学者・探検家。『シルクロード』の概念を提唱。
1833年にプロイセンで生まれ、地質学と地理学を学んだ。1859年から数度にわたり中国や中央アジアを探検し、地形調査や地質観測を実施した。彼は初めて『シルクロード』という用語を用い、古代東西交易路の概念を確立した。ベルリン大学教授として後進を育成し、地理学の学術体系構築に寄与した。国際地理学会の設立にも参画し、世界的な地理学研究を推進した。1905年に没した。
1833年 フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン 地理学者 探検家 1905年
1877年

ゲオルギー・セドフ

(1877 - 1914)

北極探検家

北極探検家
ロシアの北極探検家。過酷な条件下での探検を行い、極地探検史に名を残しました。
1877年にロシア帝国で生まれ、海軍士官としても訓練を受けました。 1912年からの北極探検ではソ連以前のロシア海軍の帆船『聖ミカエル号』を指揮しました。 船は氷に閉じ込められながらも北緯80度以上の地点まで到達しました。 セドフ自身は1914年に食糧不足や壊血病によりフランツ・ヨーゼフ諸島で亡くなりました。 彼の探検は後続の極地探検隊に貴重な地理・気象データを提供しました。 厳しい環境下での勇敢な行動は、ロシア探検史の中でも高く評価されています。
1877年 ゲオルギー・セドフ 1914年
1882年

ダグラス・モーソン

(1882 - 1958)

探検家、地質学者

探検家 地質学者
オーストラリア出身の探検家・地質学者。南極探検で重要な業績を残しました。
1882年にオーストラリアで生まれ、地質学と鉱物学を学びました。 1911年のオーストラリア南極探検隊の一員として参加し、南極大陸の沿岸部を探査しました。 1912年の冬にはひとりで極寒の荒野を踏破し、壊血病や食糧不足と戦いながら生還しました。 地質学者としての研究も優れ、南極大陸の地質構造に関する報告は学術界に大きな影響を与えました。 帰国後は大学教授として後進の指導にあたり、多くの探検家や学者を育てました。 1958年に没し、彼の名前は南極の山や海峡に刻まれています。
ダグラス・モーソン 探検家 地質学者 1958年