1824年
ロンドンでナショナル・ギャラリーが初公開される。
ロンドンにナショナル・ギャラリーが開館し、庶民にも美術作品が公開された。
1824年5月10日、イギリス政府設立のナショナル・ギャラリーが初めて一般公開された。
当初は38点の絵画コレクションでスタートし、ルーベンスやホルバインの作品が展示された。
無料公開を原則とし、庶民への芸術アクセスを広げる先駆的な試みとなった。
その後コレクションは急速に拡充され、世界屈指の美術館へと成長を遂げた。
この開館は公共美術館のモデルとなり、各国のナショナル・ギャラリー設立に影響を与えた。
1824年
ロンドン
ナショナル・ギャラリー
1876年
フィラデルフィア万国博覧会が開幕。11月10日まで。
1876年5月10日、アメリカ独立100周年を祝うフィラデルフィア万国博覧会が開幕しました。
「センテニアル博覧会」と呼ばれるこの万国博覧会は、アメリカ初の公式国際博覧会として開催されました。会場には最新の蒸気機関や機械装置、農業製品、美術工芸品が展示され、1000万人以上の来場者を集めました。初公開となった電話のデモンストレーションや蒸気機関車の実演が大きな注目を集め、産業技術の最先端を示しました。各国はパビリオンを設置し、多彩な文化交流が行われました。博覧会はアメリカの技術力と芸術性を世界に示す舞台となり、その後の万国博覧会運営のモデルケースとなりました。
フィラデルフィア万国博覧会
11月10日
1900年
鉄道唱歌第1集東海道篇が発売される。
1900年5月10日、鉄道唱歌第1集東海道篇が発売され、鉄道旅行の魅力が広まりました。
文部省唱歌として知られる鉄道唱歌は、東海道沿線の名所や歴史を歌詞に取り入れた楽曲シリーズです。第1集東海道篇では東京から神戸までの主要駅や風景が紹介され、旅行者のガイドブック的役割を果たしました。旋律は覚えやすく、学校教育にも採用されて全国で歌われるようになりました。鉄道ブームの時代背景とあいまって、一般市民の鉄道旅行への関心を高めるきっかけとなりました。この出版は地域振興や観光産業の発展にも寄与しました。
鉄道唱歌
1933年
ドイツ各地で、ナチスによる「非ドイツ的」な著作物の大規模な焚書が公開で行われる。
1933年5月10日、ナチス政権下のドイツ各地で非ドイツ的とみなされた著作物の公開焚書が行われました。
1933年5月10日にドイツ国内の大学や広場で、ナチス青年団や親衛隊が非ドイツ的と判断した書籍を大規模に焚書しました。この行為は文化省と教育省も後押しし、ユダヤ人作家や共産主義者、社会主義者らの著作が標的となりました。最大規模の焚書式はベルリンのオペラ広場で行われ、数万冊の書籍が炎に包まれました。ナチスはこれをプロパガンダとして利用し、「ドイツ文化の純粋性」を強調しました。しかし学術界や海外の知識人からは激しい非難が巻き起こり、ドイツの文化政策への懸念が高まりました。焚書事件は表現の自由に対する重大な侵害であり、ナチスの全体主義的統制の象徴として歴史に刻まれました。
1933年
ドイツ
ナチス
焚書
1952年
L・M・モンゴメリ作・村岡花子訳『赤毛のアン』公刊。
村岡花子訳による『赤毛のアン』日本語版が公刊されました。
1952年5月10日、L・M・モンゴメリ作の小説『赤毛のアン』の日本語訳が村岡花子により初めて公刊されました。原作は1908年に発表された文学作品で、孤児の少女アン・シャーリーの成長と友情を描いて世界中で愛されています。日本語版は温かみのある翻訳で読者に親しまれ、多くのファンを生み出しました。発表後は児童文学や女性読者を中心に大きな反響を呼び、何度も重版され続けています。後にアニメ化や舞台化など多様なメディア展開が行われ、日本の文化に深く根付く作品となりました。
L・M・モンゴメリ
村岡花子
赤毛のアン