1855年
第1回パリ万国博覧会が開幕。
1855年5月15日、パリのシャン・ド・マルスにて第1回万国博覧会が開幕し、産業・技術・美術の展示が行われました。
1855年5月15日、フランス皇帝ナポレオン3世の主導でシャン・ド・マルスに第1回パリ万国博覧会が開幕しました。展示面積は約16万平方メートルに及び、鉄道や機械、織物など最新の産業製品が多数紹介されました。各国館には英国館やオスマン帝国館などが設けられ、国際的な技術交流と外交の舞台としても機能しました。美術品のコレクションも充実し、訪れた一般市民や貴族にも大きな話題を呼びました。最終的な入場者数は約500万人を記録し、以降の万国博覧会のモデルとなる重要な先駆けとなりました。
1855年
第1回パリ万国博覧会
1858年
ロンドンの現在のロイヤル・オペラ・ハウスが開場。
1858年、ロンドンのコヴェントガーデン地区に現在のロイヤル・オペラ・ハウスが開場しました。
1858年5月15日、コヴェントガーデンに位置する現在のロイヤル・オペラ・ハウスが正式に開場しました。設計は建築家E・M・バリーによるもので、壮麗な外観と最新設備を備えていました。舞台機構や観客席の配置は当時の最先端を取り入れ、オペラやバレエの上演に適した環境が整えられました。開場当初から英国王室や貴族も訪れ、文化の中心地としての地位を確立しました。その後も何度か改修と再建を経ながら、世界的なオペラハウスとして高い評価を受け続けています。
1858年
ロイヤル・オペラ・ハウス
1929年
ミッキーマウスが登場する初の映画である『プレーン・クレイジー』が試写される。
『プレーン・クレイジー』の試写でミッキーマウスが初登場し、後のディズニー全盛期の礎が築かれた。
1929年5月15日、ウォルト・ディズニー制作の短編アニメ『プレーン・クレイジー』が試写された。本作はミッキーマウスがスクリーンに姿を見せる最初の作品である。当初は無声作品として劇場オーナー向けに公開され、正式公開は翌年に行われた。単純ながら愛らしいキャラクター設定と革新的なアニメーション技術が高く評価された。この試写会がディズニー社の発展を加速し、ミッキーマウスを世界的アイコンへと押し上げるきっかけとなった。
1929年
ミッキーマウス
プレーン・クレイジー
1966年
日本テレビで演芸番組『笑点』放送開始。
日本テレビで演芸番組『笑点』の放送が開始され、国民的長寿番組の歴史が始まった。
『笑点』は1966年5月15日に日本テレビで放送が開始された演芸バラエティ番組で、落語家や漫才師らが大喜利形式で笑いを競うスタイルが特徴である。
初代司会は三遊亭圓楽(当時は桂文枝)が務め、その後も歴代の司会者が番組を支えてきた。
視聴者参加型の大喜利コーナーは視聴率の高い人気企画となり、長寿番組として日本のテレビ史に名を刻んでいる。
放送開始以来、時代に合わせた演出のリニューアルを行いながらも、伝統的な演芸の魅力を大切に伝え続けている。
現在までに数千回にわたる放送を重ね、国内外で多くのファンを獲得している。
1966年
日本テレビ
演芸
笑点
1977年
児童向け漫画雑誌『コロコロコミック』(小学館)が創刊。
児童向け漫画雑誌『コロコロコミック』が創刊され、子どもたちの間で大きな話題を呼びました。
『コロコロコミック』は1977年5月15日に小学館から創刊された児童向け漫画雑誌です。
子どもたちの興味を引く豊富な漫画作品や玩具情報を掲載し、当時の少年少女に絶大な人気を誇りました。
『ドラえもん』『ゲームセンターあらし』などヒット作を多数輩出し、長年にわたり子ども向けメディアのトップに君臨しています。
その影響力は現在も続き、スマホアプリやWEBメディアなど新しい展開を生み出しています。
1977年
漫画雑誌
コロコロコミック
小学館
1990年
大昭和製紙名誉会長・齊藤了英がヴィンセント・ヴァン・ゴッホの『ガシェ博士の肖像』を絵画史上最高の約125億円で落札。
ゴッホの『ガシェ博士の肖像』が約125億円の史上最高額で落札され、美術市場に衝撃を与えました。
1990年5月15日、大昭和製紙名誉会長の齊藤了英氏がゴッホの名画『ガシェ博士の肖像』を約125億円で落札しました。
当時の落札価格は絵画史上最高額となり、世界の美術市場に大きな注目を集めました。
落札者の齊藤氏は熱心なコレクターとして知られ、後にアートマーケットにおける日本人の存在感を高めるきっかけとなりました。
この記録はその後も長らく破られず、アートオークションの歴史に名を刻んでいます。
1990年
齊藤了英
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
ガシェ博士の肖像