1905年

安芸灘を震源とするM7.4の芸予地震。死者11人。

安芸灘を震源とするM7.4の芸予地震が発生し死者が出ました。
1905年6月2日未明、瀬戸内海西部の安芸灘を震源とするマグニチュード7.4の強い地震が発生しました。主に広島県・愛媛県沿岸地域で大きな揺れとなり、11人が死亡しました。家屋の倒壊や土砂崩れが各地で報告され、漁村や港湾施設にも被害が及びました。明治期の地震観測技術が未発達であったため、被害の全容把握には時間を要しました。地域社会に大きな衝撃を与えた自然災害です。
1905年 安芸灘 M 芸予地震
1968年

九州大学電算センターファントム墜落事故。

1968年6月2日、米軍のF-4ファントムII戦闘機が九州大学電算センターに墜落した事故です。
1968年6月2日、福岡市にある九州大学電算センターに米軍のF-4ファントムII戦闘機が墜落した事故です。 訓練中の飛行中にエンジン故障もしくは操縦トラブルが発生し、制御を失った機体が建物に直撃しました。 現場では火災が発生し、電算センターの一部が大きく損壊しました。 人的被害や死傷者の詳細は公表されていませんが、施設への被害は広範囲に及びました。 この事故を契機に、大学敷地周辺の飛行経路や安全対策の見直しが行われました。
1968年 九州大学電算センターファントム墜落事故
1978年

日本航空115便しりもち事故。1985年8月12日のJAL123便墜落事故の遠因となる。

1978年6月2日、羽田空港に着陸中の日本航空115便がしりもちをつく事故が発生しました。
1978年6月2日、羽田空港に着陸中の日本航空115便が通常より高揚した接地によりしりもちをつき、機体後部が滑走路に衝突しました。 このいわゆる「しりもち事故」により乗客乗員に軽傷者が出るとともに、機体は大きく損傷しました。 事故調査では操縦操作や着陸時の風速変化などが原因とされ、着陸手順の見直しが行われました。 また、この事故は1985年8月12日に起こったJAL123便墜落事故の遠因とも言われ、安全マニュアルの改訂が進められました。 同社では以降、パイロット訓練の強化と機体検査の徹底を図りました。
1978年 日本航空115便しりもち事故 1985年 8月12日 JAL123便墜落事故
1992年

関東鉄道常総線列車衝突事故。

1992年6月2日、関東鉄道常総線で列車同士が衝突する重大事故が発生しました。
関東鉄道常総線で運行中の列車同士が正面衝突し、多数の乗客が巻き込まれた事故です。 事故の原因は信号システムの誤作動や運行管理の不備とされました。 現場では負傷者が多数発生し、一時的に路線の運行が全面停止しました。 これを受けて関東鉄道は安全対策を強化し、運行管理システムの全面見直しを実施しました。 国土交通省も鉄道業界全体に対して信号設備点検の徹底を指示しました。
関東鉄道常総線列車衝突事故