元禄4年5月9日
江戸幕府が豪商・住友家に別子銅山の採掘を許可。
江戸幕府が豪商・住友家に別子銅山の採掘を許可し、後の鉱山経営の礎を築いた。
江戸時代中期の元禄4年5月9日(1691年6月5日)、幕府は四国伊予国の別子銅山採掘権を住友家に認めた。
住友家は元来鋳物師として知られ、家業を拡大し金銅等の採掘に乗り出した。
この許可により、住友は供給コストを抑えつつ質の高い銅を安定的に生産できる体制を整備した。
別子銅山はその後、幕末から明治期にかけて国内最大級の銅産出地へと成長した。
結果として日本の近代工業の発展と貿易の拡大に大きく寄与した。
幕府による鉱山支配と豪商の協力関係の一例としても注目される。
1691年
元禄
5月9日
住友家
別子銅山