嘉永7年5月10日

日本初の洋式船「鳳凰丸」が浦賀で竣工。

日本初の洋式軍艦『鳳凰丸』が浦賀で竣工し、近代造船技術の幕開けとなった。
嘉永7年5月10日(1854年6月5日)、幕府はペリー来航後の防備強化策として洋式軍艦『鳳凰丸』を完成させた。 設計は蘭学者や外国人技術者の助言を受けて行われ、全長約54メートルの二本マスト帆船だった。 製作には薩摩藩や長崎の造船所が協力し、鉄板や技術は主にオランダから輸入された。 完成した鳳凰丸は浦賀沖で進水式を挙行し、以後江戸幕府海軍の主力艦となった。 この事業は日本の造船技術近代化を促進し、後の海軍発展に大きく貢献した。
1854年 嘉永 5月10日 鳳凰丸
1925年

駆逐艦如月が進水する。

日本海軍の駆逐艦如月が進水しました。睦月型駆逐艦の一隻として海軍力強化に寄与した船です。
1925年6月5日、日本海軍は睦月型駆逐艦の2番艦「如月」を進水させました。本艦は速力と航続力の向上を目指して設計され、進水式には海軍関係者や地元住民が参加しました。翌1926年に正式に就役し、沿岸警備や練習任務に従事しました。太平洋戦争開戦後には前線に配備され、武装強化や整備改修を経て作戦行動に参加しました。艦名は旧暦1月の異称「如月」に由来し、伝統的な命名規則が踏襲されています。睦月型駆逐艦は日本海軍の機動戦力を支える重要な存在でした。
1925年 如月
1963年

黒四ダム竣工。総工費513億円、延べ1千万人の人手と171名の尊い犠牲により7年がかりの難工事を経て完成。

黒部川流域に建設された大規模ダム工事が完成。総工費513億円、延べ1千万人の作業員と171名の犠牲を伴う難工事を経て7年がかりで竣工しました。
1963年6月5日、日本電力公社(現:関西電力)が黒部川に建設した黒四ダムが完成しました。険しい渓谷を切り開き、ロープウェイやトンネルを駆使して建設されたこのプロジェクトは、高さ186メートル・総貯水量2億トンを誇る日本最大級の重力式コンクリートダムです。発電容量は33万キロワットで、当時の国内電力供給に大きく貢献しました。建設中は強風や落石など過酷な作業環境の中、171名の殉職者が出るなど多くの犠牲を払いました。現在では観光名所としても知られ、年間100万人以上の観光客が訪れています。
1963年 黒四ダム
1971年

新宿副都心初の高層ビルとして、京王プラザホテルが開業。

新宿副都心初の超高層ビル「京王プラザホテル」が開業。近代的な都市景観の象徴となりました。
1971年6月5日、京王電鉄と小田急電鉄の出資により、東京都新宿区に日本初の超高層ホテル「京王プラザホテル」が開業しました。地上47階・地下3階、高さ178メートルを誇り、当時の日本で最も高い建造物でした。ホテル内には多彩なレストランや宴会場、プールなどが設けられ、外国人やビジネスマンに人気を博しました。高度経済成長期の象徴として新宿の街並みを一変させ、以後の高層ビル建設ラッシュの先駆けとなりました。
1971年 新宿副都心 高層ビル 京王プラザホテル
1975年

第三次中東戦争で閉鎖されていたスエズ運河が再開。

第三次中東戦争で閉鎖されていたスエズ運河が再開し、世界の海運ルートが復活しました。
1975年6月5日、1967年の第三次中東戦争以降封鎖されていたスエズ運河が約8年ぶりに通航を再開しました。運河の復旧作業では地雷除去や沈没船の撤去が行われ、安全航行のための航路整備が進められました。再開により欧州とアジアを結ぶ海上輸送が大幅に短縮され、世界貿易に大きな恩恵をもたらしました。エジプト政府にとっても重要な外貨獲得源が復活し、地域経済の再生に寄与しました。以降、冷戦下の地政学的緊張の中で戦略的な海上ルートとして重要性を増し続けています。
1975年 スエズ運河