1939年

メジャーリーガーのルー・ゲーリッグが引退。

ニューヨーク・ヤンキースの名選手ルー・ゲーリッグが現役を引退しました。
ルー・ゲーリッグは『鉄の馬』の愛称で知られ、2130試合連続出場の大記録を樹立した名一塁手です。 1939年6月21日に引退を表明し、『私は今日幸福者である』と語った感動的なスピーチを残しました。 当時、打撃成績の低下と体調不良が重なり、引退を余儀なくされました。 その後、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、現在『ルー・ゲーリッグ病』とも呼ばれています。 引退セレモニーはヤンキースタジアムで行われ、観衆やチームメイトから大きな拍手が送られました。 彼の勇気ある姿勢はスポーツマンシップの象徴として今なお語り継がれています。
1939年 メジャーリーガー ルー・ゲーリッグ
1960年

西ドイツのアルミン・ハリーが陸上100m走で10秒0を記録。

1960年6月21日、西ドイツのスプリンター、アルミン・ハリーが100m走で10秒0を記録しました。
アルミン・ハリーは当時の陸上競技界で最速クラスの選手として知られていました。1960年6月21日、彼は競技会で公式計時10秒0(手動計時)をマークし、世界記録に並ぶ快記録を樹立しました。この記録はその後の電子計時導入までシンボリックに語り継がれ、ハリーは1960年ローマオリンピックで金メダルを獲得する原動力となりました。彼の圧倒的なスタートダッシュと加速力は多くの選手に影響を与え、短距離走のトレーニング方法にも革新をもたらしました。
1960年 アルミン・ハリー 100m走 10秒0を記録
1961年

国際オリンピック委員会 (IOC) が、1964年東京オリンピックから柔道(無差別級含む4階級)とバレーボールを正式種目に採用することを決定。

1961年6月21日、IOCが東京1964大会から柔道とバレーボールを正式種目に決定しました。
国際オリンピック委員会(IOC)は1961年6月21日の理事会で、東京オリンピック(1964年)から柔道(無差別級を含む4階級)とバレーボールを正式種目として採用すると発表しました。これはアジア発の開催都市である東京を意識した選定ともいわれ、日本の伝統武道である柔道の登場は世界的な注目を集めました。バレーボールは男女ともに採用され、後に両競技ともに競技人口の拡大に寄与します。柔道は1964年の東京大会で大きな盛り上がりを見せ、以降の夏季オリンピックの定番競技となりました。これらの決定は日本のスポーツ文化の国際的地位を高める重要な契機となりました。
1961年 国際オリンピック委員会 1964年東京オリンピック 柔道 バレーボール
2019年

米国NBAのドラフト会議で、八村塁が日本人初のドラフト1巡目、全体9位でウィザーズから指名される。

八村塁が日本人初のNBAドラフト1巡目指名を受けました。
2019年6月21日、NBAドラフト会議で日本人選手として初めて八村塁が1巡目全体9位でワシントン・ウィザーズから指名されました。 彼の指名は日本バスケットボール界にとって歴史的快挙となり、国内外で大きな注目を集めました。 八村はゴンザガ大学での活躍を経てNBA入りを果たし、日本人選手の海外挑戦を象徴する存在です。 この出来事は国内のバスケットボール人気や若手育成への追い風となりました。 八村の成功は多くのアスリートに夢と可能性を与えています。
2019年 米国 NBA 八村塁 ウィザーズ