1907年

東北帝国大学が創設される。

1907年、東北帝国大学が設立され、日本の高等教育と学術研究を担う拠点が誕生。
1907年6月22日、東北帝国大学が官選により設立され、京都帝大・東京帝大に次ぐ日本第三の帝国大学として発足しました。 所在地は宮城県仙台市に置かれ、主に理系分野を重視したカリキュラムを採用しました。 当初は医学部、工学部、理学部の三学部が開設され、先進的な研究施設や図書館が整備されました。 地域振興と人材育成を使命とし、農業・医学・工学を中心とした学術研究に力を入れました。 その後の大学院制度導入や附属病院の設立などを経て、東北地方の学術研究の中心として発展を続けています。
1907年 東北帝国大学
1908年

赤旗事件(錦輝館事件)。荒畑寒村ら社会主義運動の指導者層が一挙に逮捕される。

1908年、赤旗事件で社会主義運動の指導者が一斉逮捕され、弾圧が強化。
1908年6月22日、東京の錦輝館に集まった社会主義者たちが雑誌『赤旗』を配布しようとしたところ、政府はこれを扇動行為と見なし摘発を行いました。 この赤旗事件では荒畑寒村ら社会運動指導者層約30名が一斉に逮捕され、厳罰が科されました。 当時の警察権力と司法は治安維持を口実に社会主義や無政府主義を弾圧し、言論・集会の自由を制限しました。 事件は以後の社会主義者に大きな萎縮を与え、第一次世界大戦期まで運動は低迷期に入ります。 赤旗事件は日本における思想弾圧の象徴的事例として、後の運動史や人権意識の議論に影響を与えました。
1908年 赤旗事件 荒畑寒村
1946年

プラカード事件: 食糧メーデーで「朕はタラフク食ってるぞ」のプラカードを掲げた松島松太郎が不敬罪で起訴される。

In 1946, activist Matsushima Matsutaro faced lese-majeste charges after displaying a sarcastic placard criticizing food shortages.
On June 22, 1946, activist Matsushima Matsutaro held a placard reading "I, the Emperor, am fully fed" during a postwar Food May Day rally. The sign satirized the stark contrast between imperial privilege and widespread food scarcity. Authorities charged him with lese-majeste for allegedly insulting the Emperor’s honor. The trial highlighted tensions between Japan’s new freedom of expression and lingering imperial reverence. Matsushima argued his protest targeted government policies rather than the Emperor personally. His case sparked public debate over civil liberties under Japan’s 1947 constitution. The incident is remembered as an early test of Japan’s postwar democratic values.
1946年 プラカード事件 食糧メーデー 松島松太郎 不敬罪
1972年

四畳半襖の下張事件: 『四畳半襖の下張』を掲載した月刊誌『面白半分』が猥褻文書販売の疑いで発売禁止。

月刊誌『面白半分』に掲載された小説が猥褻文書販売で発売禁止に。 表現の自由と検閲の問題を浮き彫りにしました。
1972年6月22日、“四畳半襖の下張”を掲載した月刊誌『面白半分』が猥褻文書頒布の疑いで警視庁から発売禁止処分を受けました。 同誌はゲリラ的な自由表現を謳っていたものの、当局は性的描写を問題視。 事件は出版物の検閲や表現の自由を巡る論争を呼び起こします。 作家や編集者の処罰と社会的批判が交錯し、出版文化に大きな衝撃を与えました。 以降、出版規制の在り方について議論が深まるきっかけとなりました。
四畳半襖の下張事件 四畳半襖の下張 面白半分 猥褻文書販売
2004年

集団強姦事件スーパーフリー事件の舞台となった早稲田大学のイベントサークルスーパーフリーが解散。

2004年6月22日、早稲田大学のイベントサークル「スーパーフリー」が解散しました。
スーパーフリーは学生イベントを行うサークルでしたが、集団強姦事件が発覚し社会問題化。 多くの被害者が次々と名乗り出て、大規模な捜査と裁判が行われました。 マスコミで大きく報道され、大学の管理体制やキャンパスの風紀が問われる契機となりました。 2004年6月22日にサークル解散が発表され、関連メンバーには逮捕や処分が下されました。 本事件は日本社会における性犯罪対策や大学の責任論を考える重要な事件です。
2004年 強姦 スーパーフリー事件 早稲田大学 サークル