天明7年5月12日

天明の大飢饉: 天明の打ちこわし。大坂の庶民が米屋を襲撃。

天明の大飢饉の影響で1787年に大坂で打ちこわしが発生し、庶民が米屋を襲撃しました。社会不安の象徴的な出来事です。
天明の大飢饉は度重なる冷害や洪水により日本各地で凶作が続いた。大坂では特に米価高騰が深刻化し、庶民の生活が圧迫された。1787年5月12日、群衆が打ちこわしを起こし、米屋や蔵が襲撃され大量の米が押収された。幕府は鎮圧に向けて臨時の警備を強化し、流通統制や価格抑制策を実施した。この一連の騒動は江戸時代後期の農村・都市の脆弱性と民衆の抗議行動を示す重要な事例です。
1787年 天明 5月12日 天明の大飢饉 打ちこわし
1961年

北ベトナムからの第4次集団引揚げ船上海丸が元軍人5名を乗せてハイフォンより門司港へ入港する。最後の集団引揚げが終焉する。

北ベトナムから上海丸がハイフォンを出港し、元軍人5名を乗せて門司港に到着。日本人集団引揚げの最後の船が帰国を果たしました。
1961年6月27日、第4次集団引揚げ船である「上海丸」が北ベトナムのハイフォン港を出航し、元日本軍人5名を乗せて日本側の玄関口である門司港に入港しました。これにより戦後続いてきた北ベトナムからの集団引揚げ事業は幕を閉じ、残留邦人の帰国プロセスが一区切りとなりました。引揚船には多くの困難と不安が伴いましたが、この航海は新たな平和時代の始まりを象徴しています。
1961年 北ベトナム 上海丸 ハイフォン 門司港