1876年

明治天皇が灯台監視船に乗っての東北地方巡幸を終え横浜港に帰着。(海の記念日、海の日の由来)

明治天皇が東北巡幸を終え、灯台監視船で横浜港に帰着し、「海の記念日」の由来となった日。
1876年7月20日、明治天皇は東北地方巡幸を終え、灯台監視船で横浜港に到着しました。この巡幸は海上から日本各地の安全を視察するもので、後に「海の記念日」の起源とされました。海の日は国民に海の恵みを考えさせる祝日として定着し、毎年7月第3月曜日に祝われます。現在では海洋環境保護や海洋産業振興を目的としたイベントが各地で開催され、日本の海への意識を高める一因となっています。
1876年 明治天皇 横浜港 海の日
1917年

警視庁が東京府下で不正枡の一斉捜査を行い、米穀商683人を検挙。

警視庁が不正な升の一斉検査を実施し、683人を検挙。
1917年7月20日、警視庁は東京府内で不正枡(升)の一斉捜査を行い、米穀商683人を検挙しました。不正枡とは実際よりも容積を少なくして米を量る違法計量器具を指し、庶民の生活を脅かしていました。この取締りは公正な流通秩序を守るための重要な措置であり、消費者保護の意識を高める契機となりました。その後、計量法の整備が進み、正確な計量と公平な取引の仕組みが強化されました。当時の社会における生活必需品取引の監督強化を象徴する事件です。
1917年 警視庁
1925年

東京放送局(現在のNHK)が初の語学講座「基礎英語講座」を放送開始。

NHKが初の語学講座「基礎英語講座」を放送開始。
1925年7月20日、東京放送局(現NHK)は日本初の語学講座「基礎英語講座」の放送を開始しました。英会話の基礎を一般聴取者向けに学べる番組として人気を博し、リスニングや例文暗唱を取り入れた構成が特徴でした。戦前におけるラジオ教育番組の先駆けであり、公共放送の教育的役割を示す重要な事例です。視聴者の反響を受けて他の語学講座や教養番組が次々と登場し、その後のNHK語学教育番組の基盤となりました。
1925年 NHK 語学講座
1948年

国民の祝日に関する法律(祝日法)が公布・施行。9つの国民の祝日が誕生。

日本で国民の祝日を定める祝日法が公布・施行され、9つの祝日が誕生しました。
第二次世界大戦後の1948年7月20日、日本政府は国民の生活向上と社会統合を図るため『国民の祝日に関する法律』を公布・施行しました。この法律により元旦や成人の日、建国記念の日など9つの国民の祝日が制度化されました。祝日法は季節行事や歴史的出来事を祝日に定めることで、国民の休日文化を形成し、家族やコミュニティの結びつきを深める役割を果たしました。以降、祝日は国民の生活リズムや経済活動にも大きな影響を与える制度として定着しています。
1948年 国民の祝日に関する法律 国民の祝日
1951年

町田警察署に旧在日本朝鮮人連盟メンバー約150人が乱入。警察官7人が負傷。

在日本朝鮮人連盟の旧メンバー約150人が町田警察署に乱入し、衝突が発生しました。
1951年7月20日、在日本朝鮮人連盟の解散後も活動を続けた旧メンバー約150人が東京都町田市の警察署に乱入しました。彼らは朝鮮人差別への抗議や仲間の取り締まりに反発し、押し入った際に警察官7人が負傷しました。この事件は戦後日本における在日コリアンコミュニティと治安当局との緊張を象徴する出来事です。以後、警察は在日朝鮮人に対する監視を強化し、両者の関係は一層複雑化していきました。
町田警察署 在日本朝鮮人連盟
1952年

福井放送(FBC)、「ラジオ福井」の愛称でラジオ放送開始。

福井放送(FBC)がラジオ放送を開始し、ローカルメディアが誕生しました。
1952年7月20日、福井県初の民間ラジオ局である福井放送(FBC)が「ラジオ福井」の愛称で本放送をスタートしました。ニュースや音楽、地域情報など多彩な番組を提供し、県民の日常生活に密着した情報インフラとして機能しました。開局当初は限られた電波出力でしたが、次第に放送エリアを拡大し、テレビ放送へも進出しました。現在もFBCは福井県のメディアの中心として地域文化の発信に貢献しています。
1952年 福井放送
1964年

トップレス水着が軽犯罪法に反する旨を警察庁が通達。

1964年7月20日、警察庁はトップレス水着が軽犯罪法に抵触すると通達しました。
1964年7月20日、警察庁はトップレス水着の着用を公然わいせつ罪(軽犯罪法)に該当すると各都道府県警察に通達しました。 当時、自由なビーチ文化の到来とともにトップレス水着が一部で流行し、社会的な注目を集めていました。 通達は公序良俗の観点から全身の露出に制限を与えるもので、違反者には罰金や拘留の可能性が示唆されました。 この措置は表現の自由と公共の秩序維持のバランスを巡る議論を呼び、メディアでも大きく報道されました。 以後、ビーチファッションの規制と自由化の歴史において象徴的な出来事となりました。
1964年 トップレス 水着 軽犯罪法 警察庁 通達
2006年

ワールド・ジャンプ・デー世界時(GMT)10時39分13秒「西半球で6億人の人が同時にジャンプして地球の軌道をずらし、地球温暖化をストップさせよう」という計画が行われた。

2006年7月20日、世界時10時39分13秒に西半球の約6億人が同時にジャンプし、地球軌道をずらして地球温暖化を止めようという計画が実行されました。
ワールド・ジャンプ・デーは地球温暖化対策を目的とした市民参加型のイベントで、主催者は約6億人の同時ジャンプで地球の軌道を変えられると主張しました。計画は2006年7月20日世界時10時39分13秒に設定され、多くの地域で同時に参加者がジャンプを行いました。しかし、物理的な効果は確認されず、科学的根拠に乏しい実験として批判も浴びました。それでも環境問題への意識喚起やコミュニティによる協力の象徴として注目を集めました。オンラインプラットフォームを通じて世界中から参加報告や写真が共有され、社会運動としての可能性が議論されました。
世界時 西半球 地球 地球温暖化