慶長15年6月13日
徳川家康の命で京都の商人・田中勝介らが鉱山技師を招くためにメキシコへ向けて出航。翌年帰国。
徳川家康の命で京都の商人らが鉱山技師を招聘するためにメキシコへ航海した。
江戸幕府は銀山開発のために優れた鉱山技術を求め、1610年8月1日に京都の商人・田中勝介らを派遣しました。使節団はメキシコまで往復する過酷な海路に挑み、翌年に帰国しました。彼らはスペイン植民地で発展していた鉱山技術の導入を目指し、炉の設計や採鉱技術を学ぶことが目的でした。持ち帰った技術は日本国内の金銀山開発に応用され、幕府の財政基盤強化に寄与しました。この遠征は江戸時代前期における技術交流の先駆けとなりました。
1610年
慶長
6月13日
田中勝介
メキシコ