明治5年8月3日

日本で学制が公布。

1872年9月5日(明治5年8月3日)、日本で近代的な学制が公布され全国に初等教育制度が整った。
明治政府は西洋式の近代国家建設を進めるため、1872年9月5日(明治5年8月3日)に学制を公布しました。 学制は6歳以上の子どもに初等教育を義務づけ、全国に小学校を設置する大規模な教育改革でした。 これにより日本初の全国統一教育制度が確立し、識字率の向上と人材育成が加速しました。 学制の理念は『士農工商』の身分制度を超えた人材登用を促し、社会の近代化を支えました。 後の中学校・大学設立の基盤となり、日本の教育制度の原型を築きました。
1872年 明治 8月3日 学制
1882年

ニューヨークで労働者団体がパレードを行い、レイバー・デーのはじまりとなる。

1882年9月5日、ニューヨークで労働者団体が初のパレードを行い、レイバー・デー発祥のきっかけとなった。
労働組合運動を牽引するニューヨークの労働者団体が、1882年9月5日に初のパレードを実施しました。 この行動が起源となり、アメリカ合衆国では9月第1月曜日を『レイバー・デー』として祝日と定めるようになりました。 1894年には連邦政府が正式に祝日化し、労働者の権利と貢献を称える日として定着しました。 以後、レイバー・デーは夏の終わりを告げる社会的・経済的イベントとしても発展しました。 現在でもパレードやバーベキュー、スポーツ大会など多彩な行事が行われます。
1882年 ニューヨーク レイバー・デー
1905年

ポーツマス条約が締結され、日露戦争が終結。日比谷焼打事件発生、日本各地でも同様の暴動が起こる。

1905年9月5日、日露戦争終結をもたらしたポーツマス条約が締結され、国内では日比谷焼打事件などの騒乱が発生しました。
1905年9月5日、アメリカ大統領ルーズベルトの仲介でポーツマス条約が締結され、日露戦争が正式に終結しました。 条約では南樺太の日本権益や遼東半島の租借権などが取り決められました。 日本国内では講和内容への不満が高まり、同日の夜には東京・日比谷で焼打事件が発生しました。 日比谷焼打事件は全国各地に波及し、市民の不満やナショナリズムの高まりを象徴する出来事となりました。 この条約とその直後の騒乱は、明治期日本の外交政策と国内政治に大きな影響を与えました。
1905年 ポーツマス条約 日露戦争 日比谷焼打事件
1946年

第二次大戦後初の日本の国民学校用国史教科書『くにのあゆみ』が発行。

第二次大戦後、初の国民学校用国史教科書『くにのあゆみ』が発行されました。
1946年の9月5日、戦後初の国民学校用国史教科書『くにのあゆみ』が文部省から刊行されました。戦前の教育観を一新し、新生日本の歴史教育を再構築する狙いがありました。教科書は古代から現代までの流れを通史的にまとめ、児童に戦争と平和の重要性を伝える内容を盛り込みました。歴史学者や教育者が編集に携わり、図版やイラストを多用して学習効果を高めています。戦後教育改革の象徴として、その後の教科書開発に大きな影響を与えました。
1946年 国民学校 国史 くにのあゆみ
1987年

ナチスによって殺害された同性愛者を追悼するホモモニュメントがアムステルダムに設立される。

アムステルダムにナチスの同性愛者迫害を追悼する『ホモモニュメント』が設立されました。
1987年9月5日、オランダ・アムステルダムのウェステル川沿いに、ホモモニュメントが正式に設置されました。三つのピンクのコンクリート製台座が運河から突き出るデザインで、ナチス政権下で迫害された同性愛者の犠牲者を記念しています。地元のLGBTコミュニティと人権活動家の尽力により実現し、世界初の同性愛者専用の追悼施設として国際的にも注目を集めました。モニュメントは定期的な追悼式やイベントの会場となり、平等と多様性の象徴となっています。
1987年 ホモモニュメント アムステルダム