680年

カルバラーの戦い。

680年にイラク北部カルバラーで起きた宗教的・政治的対立による戦い。
西暦680年、イマーム・フサインらがウマイヤ朝の権威に抗してカルバラー平原で蜂起した。 戦闘は数百の兵力で行われ、圧倒的多数を誇るウマイヤ朝軍が勝利。 フサインは戦死し、シーア派イスラム教徒の殉教伝承が形成された。 この戦いはシーア派とスンニ派の分裂を決定づけ、後世のイスラム世界に大きな影響を与えた。 以後、シーア派の宗教文化や政治運動の象徴となった。
680年 カルバラーの戦い
732年

トゥール・ポワティエ間の戦い。

732年、フランク王国軍がイスラム勢力をポワティエ近郊で撃退。
西暦732年10月10日、フランク王ピピンの子チャールズ・マルテル率いる軍がイスラム勢力と対峙した。 戦闘はトゥールとポワティエの間の平野で繰り広げられた。 フランク軍の堅固な防御と長槍隊の突撃が決定打となり、大勝利。 これによりイスラム勢力のヨーロッパ西進は一時阻止され、チャールズの名声は高まった。 ヨーロッパ世界の運命を左右した転換点とされている。
732年 トゥール・ポワティエ間の戦い
1780年

1780年のグレートハリケーンがバルバドス周辺海域を通過。カリブ海の諸島で死者約2万人を出す、歴史上最悪の被害を出したハリケーンとなる。

1780年にカリブ海を直撃し約2万人の死者を出した史上最悪のハリケーン。
1780年10月10日、グレートハリケーンはバルバドス島周辺を通過した。 当時の記録によれば、バルバドスやセントルシア、グアドループ島など複数の島々で甚大な被害が発生。 木造家屋は壊滅し、船舶の多数が沈没または破壊された。 推定死者数は約2万人に達し、史上最悪の被害を出したハリケーンとされる。 当時のカリブ海航路や植民地経済にも深刻な悪影響を及ぼした。
1780年 1780年のグレートハリケーン
1882年

日本銀行が開業。

1882年に日本初の中央銀行として日本銀行が開業。
明治15年(1882年)10月10日、日本銀行が開業した。 本店は東京・日本橋に設置され、紙幣発行権や為替業務を独占した。 近代的な中央銀行制度の導入により、日本の金融基盤が整備された。 外国為替市場や政府の財政運営にも深く関与し、経済発展を支えた。 以後、金融政策の中枢として国内外の経済情勢に対応している。
1882年 日本銀行
1911年

武漢三鎮で革命軍が蜂起(武昌起義)。辛亥革命が勃発。

1911年、武昌で革命軍が蜂起し辛亥革命が勃発。
辛亥革命を開始した出来事の一つとして、1911年10月10日に武漢三鎮の一つ武昌で蜂起が発生。 新軍の一部兵士や革命志士が武昌城を占拠し、清朝支配に抵抗。 蜂起は全国各地に呼応し、同年中に清朝打倒の機運が急速に高まった。 この武昌起義により清朝は終焉へと向かい、中華民国の建国へ道が開かれた。 孫文らの革命理念が実現へ近づいた歴史的転換点。
1911年 武漢三鎮 武昌起義 辛亥革命
1911年

香港初の鉄道東鉄線が開業。

1911年、香港で初の鉄道となる東鉄線が開業。
1911年10月10日、香港初の旅客鉄道として東鉄線(当時は九広鉄路馬料水〜沙頭角間)が営業を開始。 路線は九龍半島の新界地域を縦断し、清領との国境を結んだ。 鉄道の導入により貨物輸送や人員移動が飛躍的に効率化。 香港の物流や産業発展を後押しし、以降の郊外開発にも寄与した。 現在の東鉄線はMTRとして市内交通の重要な要素となっている。
香港 東鉄線
1913年

袁世凱が初代中華民国大総統に就任。

1913年、袁世凱が初代中華民国大総統に就任。
辛亥革命後の混乱期にあたり、1913年10月10日、袁世凱が中華民国初代大総統に選出・就任。 かつて清朝の要職を務めた軍人・政治家として、革命派と旧清朝勢力の橋渡しを図った。 就任後は憲法制定や統一政府樹立を掲げつつ、権力集中を進めた。 その後、帝制復活を試み1915年に皇帝即位宣言を行い、民主共和制への反動を招いた。 中国近代史における重要なリーダーの一人。
1913年 袁世凱 中華民国大総統
1916年

第一次世界大戦:第八次イゾンツォの戦い。

1916年、イタリアとオーストリア間で行われた第八次イゾンツォの戦い。
第一次世界大戦のイタリア戦線で、1916年10月10日に第八次イゾンツォの戦いが開始。 イタリア軍は指揮官カドルナのもとイゾンツォ川流域を攻撃し、重要拠点ゴリツィア奪回を目指した。 戦闘は激しい山岳戦となり、両軍とも大きな犠牲を出した。 イタリア軍は一時的に前進を果たすものの、戦線は膠着状態に陥った。 北イタリアの戦線を長期化させる一因となった。
1916年 第一次世界大戦 第八次イゾンツォの戦い
1916年

立憲同志会・公友倶楽部・中正会が合同し憲政会を結成。

1916年、日本の立憲同志会・公友倶楽部・中正会が合同し憲政会を結成。
1916年10月10日、日本の主要政党であった立憲同志会、公友倶楽部、中正会の三党が合同。 新党「憲政会」を結成し、当時の与党・立憲政友会に対抗する勢力を形成した。 憲政会は憲政擁護や議会政治の推進を主張し、議会内で一定の影響力を持った。 後に立憲政友会と再編や対立を繰り返しながら、大正時代の政党政治に寄与した。 日本の近代議会制度の発展過程を象徴する出来事。
立憲同志会 公友倶楽部 中正会 憲政会
1919年

中華革命党が中国国民党に改組し、孫文が総理に就任。

1919年、中華革命党が国民党に改組され孫文が総理に就任。
1919年10月10日、中国革命勢力である中華革命党が改組され「中国国民党」となる。 組織の再編を受け、創設者の孫文が党の総理(総理主席)に選出された。 中国国民党は三民主義を掲げ、国民革命と中央集権的再建を目指した。 以降、北伐や国共合作など中国近代史の主要運動を主導する中心政党となった。 孫文の指導理念は後の台湾国民党にも影響を与えた。
1919年 中華革命党 中国国民党 孫文
1922年

銚子電気鉄道が銚子市に銚子鉄道株式会社として開業。

1922年、銚子市が設立した銚子鉄道株式会社として銚子電気鉄道が開業しました。
銚子電気鉄道は千葉県銚子市を中心に運行を開始した私鉄です。 1922年10月10日、地元自治体が設立した銚子鉄道株式会社として営業をスタート。 犬吠埼や銚子漁港へのアクセスを担い、観光および通勤輸送を支えました。 戦後には車両の更新や観光列車導入などで魅力を高め、地元に根付いた存在となっています。 経営難を乗り越えつつ、地域密着のローカル線として現在まで続いています。
1922年 銚子電気鉄道 銚子市
1925年

北京で故宮博物院開設。

1925年、北京に故宮博物院が開設され、中国の歴史美術品の展示が始まりました。
故宮博物院は紫禁城内に位置する中国最大級の博物館です。 1925年10月10日、旧皇帝のコレクションを一般公開する形で開館。 絵画、書籍、陶磁器など数万点の文化財を所蔵しています。 中国美術史や宮廷文化の研究拠点として国内外の注目を集めています。 現在も多くの来館者が訪れる観光名所となっています。
1925年 北京