1900年
ボストンのシンフォニーホールが竣工。
1900年10月15日、アメリカ・ボストンにシンフォニーホールが竣工しました。優れた音響設計が評価されています。
クラシック音楽の名門、ボストン交響楽団のために建設されたコンサートホール。
設計はマッキム・メイズ・ホワイト社によるもので、響きの良さを追求した内部造形が特徴。
開館当初から高い音響品質を誇り「世界最高の音響ホール」と称された。
モーツァルトやベートーヴェンの演奏会をはじめ、多くの名演がここで生まれた。
現在も定期公演や国際的な音楽祭の会場として利用され続けている。
1900年
ボストン
シンフォニーホール
1905年
ニューヨーク・ヘラルド紙でウィンザー・マッケイの漫画『リトル・ニモ』の連載開始。
1905年10月15日、ニューヨーク・ヘラルド紙でウィンザー・マッケイの漫画『リトル・ニモ』の連載が始まりました。革新的な作画で人気を博しました。
『リトル・ニモ』は子どもの夢の世界を独創的に描いた作品で、鮮やかな色彩と細密なタッチが特徴。
当時の新聞漫画としては画面構成の自由度が高く、ページ全体を使った大胆な演出を実現。
マッケイは光と影の表現やキャラクターの動きを滑らかに見せる技術を導入。
読者を夢と現実の間に引き込む構成で、後の漫画やアニメーションにも大きな影響。
現在も美術書や展覧会で取り上げられる名作とされる。
1905年
ウィンザー・マッケイ
リトル・ニモ
1940年
チャールズ・チャップリン監督・主演の映画『独裁者』が初公開。
チャールズ・チャップリン監督・主演の風刺映画『独裁者』が初公開されました。
1940年10月15日、チャップリン初のフルサウンド映画として公開。
ファシズムと独裁政治を風刺し、ヒトラーやムッソリーニをパロディ化。
チャップリンは独裁者と理髪師の二役を演じ、ユーモアと社会批判を融合させた。
公開当時は戦争中の緊迫した国際情勢の中で賛否両論を呼んだ。
現在も反戦・人権尊重の象徴的作品として高く評価されています。
1940年
チャールズ・チャップリン
独裁者
1951年
シットコムの『アイ・ラブ・ルーシー』がアメリカCBSテレビで放映開始。
1951年10月15日、CBSテレビでシットコム『アイ・ラブ・ルーシー』が放映開始。視聴者を魅了したテレビコメディの金字塔です。
1951年10月15日、アメリカのCBSテレビ系でシットコム『アイ・ラブ・ルーシー』の放映がスタートしました。
主演のルシル・ボールとデジ・アーモンドンのコメディタッグは放送開始直後から高い評価を受け、全米で大ヒットとなります。
革新的な家庭コメディの手法を取り入れたストーリー構成や撮影方式は、その後のシットコム形式に大きな影響を与えました。
番組は6シーズンにわたり放送され、放送終了後も再放送やDVD化により世代を超えて親しまれています。
テレビ史における重要作品として数々の受賞歴があり、今日でもコメディ作品の手本とされています。
1951年
シットコム
アイ・ラブ・ルーシー
アメリカ
CBS
1958年
守礼門の復元落成式。
1958年10月15日、首里城の守礼門の復元落成式が行われました。
沖縄県那覇市の首里城正門にあたる守礼門は、戦後の復興事業の一環として復元が進められました。
1958年10月15日に復元落成式が開催され、伝統的な琉球文化の象徴として再びその姿を取り戻しました。
守礼門は「守禮之邦」と刻まれた扁額を掲げ、琉球王国時代の礼節文化を今に伝えています。
復元には歴史資料や写真を基に専門家の監修が行われ、城郭建築技術の復元研究の実例となりました。
現在も観光名所として多くの人々が訪れ、沖縄の歴史と文化を感じる要所となっています。
1958年
守礼門
1961年
『上を向いて歩こう』のシングル盤がリリース。発売から3ヵ月で30万枚を売り上げる。また、1963年6月15日にはアメリカの音楽誌『Billboard』のチャートでアジア圏の歌手で初めてシングル週間1位を記録した。
1961年10月15日、坂本九の『上を向いて歩こう』シングル盤がリリースされました。
坂本九が歌う『上を向いて歩こう』は1961年10月15日にシングル盤として発売されました。
発売からわずか3ヵ月で30万枚を売り上げ、国民的な大ヒットとなります。
1963年6月15日には英語タイトル『Sukiyaki』でアメリカの音楽誌『Billboard』の週間チャートでアジア圏の歌手として初の1位を獲得。
異国の地で日本語歌詞の楽曲がチャートトップに立つ快挙は、世界中の音楽業界に大きな驚きを与えました。
この成功は日本音楽の海外進出の先駆けとなり、坂本九の代表作として今も愛され続けています。
1961年
上を向いて歩こう
1963年
6月15日
Billboard