1859年

ジェームス・カーティス・ヘボンが横浜到着。日本の教育に大きな足跡を残す。

1859年、宣教師ジェームズ・カーティス・ヘボンが横浜に到着。
1859年10月17日、宣教師ジェームズ・カーティス・ヘボンが横浜に到着した。 彼は医師として活動しつつ、日本語研究に取り組み、ヘボン式ローマ字の基礎を築いた。 さらに英和辞典『和英語林集成』を編纂し、教育と翻訳の分野で大きな足跡を残した。 横浜や江戸で開いた私塾では多くの日本人学生が学び、西洋医学の普及にも貢献した。 ヘボンの業績は近代日本の教育と国際交流の礎となった。
1859年 ジェームス・カーティス・ヘボン
1877年

東京・神田に華族の教育機関・華族学校が開校。明治天皇により学習院と名付けられる。

華族の子女教育を目的とした華族学校(後の学習院)が東京・神田で開校した。
明治10年(1877年)、華族の子女を対象とした教育機関として華族学校が東京・神田に開校した。 開校式では明治天皇が「学習院」の校名を賜り、皇族・華族の教育拠点となった。 当初は漢学、礼法、洋学など多岐にわたる科目が教えられた。 後に学習院初等科、中等科、高等科を備えた総合的な教育機関へと発展を遂げた。 現在も学習院大学、学習院中・高等科として歴史を受け継いでいる。
1877年 学習院
1905年

津田梅子らが日本基督教女子青年会 (YWCA) を創立。

津田梅子らにより日本基督教女子青年会(YWCA)が創立された。
1905年、津田梅子ら日本の女性教育者が中心となり日本基督教女子青年会(YWCA)を創立した。 女性の社会進出や福祉活動を支援する団体としてスタートした。 聖書の教えに基づいたボランティアや教育プログラムが行われた。 当初は東京の限られた場所で活動していたが、全国に支部を広げていった。 今日もYWCAは女性のエンパワーメントや子育て支援などで活動を続けている。
1905年 津田梅子 日本基督教女子青年会
1950年

早稲田大学事件。 レッド・パージ反対運動をする学生に対し、大学が警官の出動を要請。学生と警官が衝突し多数の負傷者・検挙者を出す。

1950年、早稲田大学でレッド・パージ反対の学生運動が警察との衝突に発展し、多数の負傷者・検挙者を出した。
1950年10月17日、戦後のレッド・パージに反対する早稲田大学の学生が授業ボイコットを実施。大学当局は治安維持を理由に警察への出動要請を行った。警官隊が構内に進入すると学生と衝突し、投石や催涙ガスの使用など過激な対立が発生。これにより多数の学生が負傷し、一部は検挙された。事件は大学自治や表現の自由を巡る議論を呼び起こし、学生運動史に重要な影を落とした。
1950年 早稲田大学事件 レッド・パージ