1512年

ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画が公開される。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を完成・公開。ルネサンス美術の最高峰とされる壮麗な宗教画。
1512年11月1日、ミケランジェロはバチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂で自身が4年をかけて制作した天井画を公開しました。 祭壇から入口まで約40メートルに及ぶ広大な天井には『天地創造』を中心に旧約聖書の場面が描かれ、約300以上の人物像が配置されています。 制作当時、ミケランジェロは足場の上で寝泊まりしながら苦難の中で作業を続けたと伝えられています。 この天井画は革新的な遠近法と人体表現でルネサンス芸術の頂点とされ、後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。 今日でも世界中から訪れる人々を魅了し続けています。
1512年 ミケランジェロ システィーナ礼拝堂
1604年

ウィリアム・シェイクスピアの『オセロ』がロンドンにて初演。

シェイクスピアの悲劇『オセロ』がロンドンで初演。嫉妬と裏切りの物語が観客を魅了。
1604年11月1日、ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つ『オセロ』がロンドンのホワイトホール宮廷劇場で初演されました。 物語はムーア人の将軍オセロが副官イアーゴーの奸計によって嫉妬にとらわれ、愛するデズデーモナを疑念で傷つけていく様を描いています。 巧妙な台詞と深い人間洞察に満ちた構成は、当時のイギリス演劇に革新をもたらしました。 この作品は後世も世界中で上演され続け、演劇史に不朽の名作として刻まれています。
1604年 ウィリアム・シェイクスピア オセロ ロンドン
1611年

ウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』がロンドンにて初演。

シェイクスピアの最後期の作品『テンペスト』がロンドンで初演。魔法と赦しの物語。
1611年11月1日頃(正確な日付不詳)、ウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』がロンドンのブラックフライアーズ劇場で初演されました。 作品は怪しげな島に流れ着いた公爵プロスペローが魔法の力を用いて復讐と赦しを演出する幻想的なストーリーです。 海の嵐や精霊アリエル、怪物キャリバンといった要素が織り交ぜられ、当時としては珍しいファンタジー色の強い演劇として注目されました。 『テンペスト』はシェイクスピアの集大成とも評され、後の文学や舞台芸術に大きな影響を与えました。
1611年 テンペスト
1928年

トルコで、ラテン文字による現行のトルコ語表記法(トルコ語アルファベット)の使用が開始される。それまではアラビア文字を用いていた。

トルコ共和国がトルコ語表記をアラビア文字からラテン文字に切り替えました。
1928年11月1日、ムスタファ・ケマル・アタテュルク政権下でラテン文字を基盤とする新しいトルコ語アルファベットの使用が正式にスタートしました。 それまで長く使われてきたアラビア文字表記は廃止され、29文字から成るラテン系の文字体系が導入されました。 この文字改革は国民の識字率向上を目的とした一連の近代化政策の一環で、大々的な識字教育キャンペーンとともに推進されました。 学校教育や官公庁文書、新聞などあらゆる分野で新字体が採用され、短期間での浸透が図られました。 言語・文化的な大改革としてトルコ社会に深い影響を与え、現在につながるトルコ語の基礎を築きました。
1928年 トルコ ラテン文字 トルコ語 トルコ語アルファベット アラビア文字
1950年

ローマ教皇ピウス12世が教皇不可謬権を行使して聖母の被昇天を正式にカトリックの教義として宣言。

教皇ピウス12世が聖母マリアの被昇天を公式教義として宣言しました。
1950年11月1日、ローマ教皇ピウス12世は教皇不可謬権(教義を決定する際の無謬性権限)を行使し、聖母マリアの被昇天(アッシューション)をカトリック教会の正式教義として定めました。被昇天は聖母が肉体と魂のまま天に昇ったとする信仰であり、教会史上重要な神学的発表となりました。教義宣言は「ムンディ・ノヴァエ」教書によって発表され、全世界の信徒に向けて公布されました。この宣言はカトリック教会の教義統一と教会権威の強化に寄与し、宗教史上重要な出来事として記憶されています。宣言後、信徒の間で被昇天の祝典がより厳かに行われるようになりました。
ピウス12世 教皇不可謬権 聖母の被昇天 カトリック
1961年

国立国会図書館東京本館が開館。

1961年11月1日、国立国会図書館東京本館が開館し、日本最大の図書館ネットワークが整備されました。
国立国会図書館は1948年の設立以来、国会議員への調査・立法支援を目的としていました。1961年11月1日に東京本館が完成し、書籍や資料の収蔵能力が飛躍的に向上しました。本館は建築家前川國男の設計で知られ、近代建築の傑作とされます。一般利用者にも開放され、レファレンスサービスや複写サービスが提供されました。現在では国内外の蔵書数を誇り、日本の知的基盤を支える施設となっています。
1961年 国立国会図書館
1966年

国立劇場が開場。

伝統芸能の拠点として国立劇場が開場。
1966年11月1日、東京・半蔵門に国立劇場が開場しました。歌舞伎や文楽、能楽など日本の伝統芸能を保存・普及するために建設された施設です。最新の舞台技術と音響設備を備え、国内外の演目を高い品質で上演可能な環境が整えられています。政府の文化振興政策の一環として誕生し、多彩な催しが定期的に開催される場として親しまれてきました。
1966年 国立劇場
1968年

米国映画業協会によるアメリカでの映画のレイティングシステムが開始。

MPAAが映画レイティングシステムを導入。
1968年11月1日、米国映画協会(MPAA)は映画のレイティングシステムを正式に開始しました。映画作品を年齢別に区分し、G、M、R、Xの4段階で表示する方式を導入。子どもや家族向けの視聴ガイドラインとして業界主体で策定され、検閲ではなく自己規制の枠組みです。後にPGやPG-13などの新区分が加わり、世界各国の映像規制制度にも影響を与え続けています。
1968年 米国映画業協会 映画のレイティングシステム
1995年

V6がMUSIC FOR THE PEOPLEでCDデビュー。

1995年11月1日にV6が『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビューしました。
V6はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループとして1995年に結成されました。11月1日にシングル『MUSIC FOR THE PEOPLE』でCDデビューを果たしました。デビュー曲は軽快なポップサウンドとダンスパフォーマンスが特徴で、若者を中心に高い人気を獲得しました。メンバーは10代から20代で構成され、幅広い世代に支持されました。以後、シングルやアルバム、コンサート活動を通じて長いキャリアを築き、日本の音楽シーンを牽引しました。
V6 MUSIC FOR THE PEOPLE
2021年

V6がこの日行われたコンサートツアーのファイナル公演をもって解散。26年の活動に終止符を打つ。

ジャニーズの人気グループV6が26年の活動を締めくくる解散公演を行い、長い歴史に幕を下ろしました。
V6は1995年にデビューし、幅広い年齢層から支持を集めたジャニーズ事務所の人気アイドルグループです。2021年11月1日、コンサートツアーのファイナル公演をもって26年の活動に終止符を打ちました。メンバー各自が俳優や声優、ナレーターなど多彩な分野で活躍し、音楽活動以外でも高い評価を得ています。解散公演では代表曲の数々が披露され、ファンとの絆を感じられる感動的なステージとなりました。今後はメンバーが個々の新たな活動に挑み、V6としての功績は永く語り継がれるでしょう。
V6