683年

ヤズィード1世

(645 - 683)

ウマイヤ朝のカリフ

ウマイヤ朝のカリフ
ウマイヤ朝の第2代カリフとしてイスラム帝国の統治を担った人物。
ヤズィード1世は、683年までウマイヤ朝の第2代カリフとして統治しました。645年にメッカで生まれ、父ムアーウィヤ1世の跡を継いで680年にカリフに即位しました。治世中に起こったカルバラーの戦いはシーア派とスンナ派の分岐点となりました。国内外での反乱鎮圧にあたる一方、帝国の行政機構の整備を進めました。在位は短期間でしたが、早逝とともに内紛が激化し、ウマイヤ朝の運命に影響を及ぼしました。
683年 ヤズィード1世 ウマイヤ朝 カリフ 645年
1130年

テレサ・デ・レオン

(1080 - 1130)

ポルトゥカーレ伯エンリケの妃

ポルトゥカーレ伯エンリケの妃
レオン王国出身でポルトゥカーレ伯エンリケと結婚し、ポルトガル誕生の基礎を築いた王妃。
テレサ・デ・レオンは1080年ごろにレオン王アルフォンソ6世の庶子として生まれました。1093年にエンリケ・ベルナンブーの子息エンリケと結婚し、ポルトゥカーレ伯領の統治を支えました。夫の死後、息子アフォンソ・エンリケの摂政として地域の基盤を整備し、後のポルトガル王国成立につながる政治的礎を築きました。居城においては修道院の支援にも尽力し、文化・宗教面でも影響を与えました。1130年に没し、息子の治世へとつながる足跡を残しました。
1130年 テレサ・デ・レオン ポルトゥカーレ伯エンリケ 1080年
嘉禎4年10月4日

松殿師家

(1172 - 1238)

平安時代・鎌倉時代の公卿

平安時代・鎌倉時代の公卿
平安時代末から鎌倉時代初期にかけて宮廷で高い地位にあった公卿。
松殿師家は1172年に生まれ、藤原北家松殿流の嫡流として宮廷に仕えました。摂家将軍として権勢を誇った父・松殿教家の跡を継ぎ、後白河法皇や土御門上皇の側近として政務にあたりました。承久の乱後の鎌倉幕府成立期には公卿として幕府と朝廷の調整を行い、幕藩関係の確立に寄与しました。文化面でも和歌や蹴鞠など貴族文化を支え、その家風は後世に伝えられました。1238年に没しました。
1238年 嘉禎 10月4日 松殿師家 平安時代 鎌倉時代 公卿 1172年
慶長19年10月10日

奥平家昌

(1577 - 1614)

宇都宮藩主

宇都宮藩主
江戸時代初期の宇都宮藩第2代藩主。
奥平家昌は1577年に生まれ、徳川家康の下で功績を挙げた武将・奥平信昌の子として育ちました。家康の関東入国後に宇都宮藩主に封じられ、藩政の基礎を固めました。藩領の産業振興や城下町の整備に努め、治安維持にも尽力しました。学問や文化面でも藩校の設立を支援し、幕府との関係強化に寄与しました。1614年に没し、その統治は後の藩主へと受け継がれました。
1614年 慶長 奥平家昌 宇都宮藩主 1577年
1831年

ナット・ターナー

(1800 - 1831)

アメリカ合衆国の奴隷反乱指導者

アメリカ合衆国の奴隷反乱指導者
アメリカ南部の奴隷指導者。1831年に大規模な奴隷反乱を主導した。
1800年にバージニア州で生まれたアフリカ系アメリカ人奴隷。 1831年8月、数十人の奴隷を率いて反乱を起こし、一時的に地域を掌握した。 反乱は州兵によって鎮圧され、ターナー自身も逮捕・処刑された。 彼の行動は南北戦争前夜の奴隷制問題を国内外に強く訴え、廃奴運動を刺激した。 今もなお人権や抵抗の象徴として語り継がれている。
1831年 ナット・ターナー アメリカ合衆国の奴隷 1800年
安政2年10月2日

戸田忠太夫

(1804 - 1855)

水戸藩家老

水戸藩家老
江戸時代後期の水戸藩家老として藩政の中枢を担った。
1804年に水戸藩の士族に生まれ、若くして藩主徳川斉昭に仕える。 藩の財政再建や領内の治安維持に尽力し、学問奨励や人材登用にも携わった。 開国論と攘夷論が対立する時代背景の中で、藩内外の調整役を務めた。 安政2年(1855年)、藩政改革の矢面に立ちながら死去した。 水戸学の流れをくむ思想界にも影響を与えた。
1855年 安政 10月2日 戸田忠太夫 水戸藩 家老 1804年
1861年

ペドロ5世

(1837 - 1861)

ポルトガル王

ポルトガル王
ポルトガルの王(在位1853-1861)。国家の近代化に尽力した。
ペドロ5世は若くしてポルトガル王に即位し、鉄道整備や公共衛生の改善などを通じて国家の近代化を推進した。学術・文化振興にも関心を寄せ、図書館や博物館の設立を支援した。衛生インフラの整備により市民の生活水準向上に貢献し、ヨーロッパ諸国を視察して先進技術を導入した。1861年に急逝したが、その改革は後継政権にも大きな影響を与えた。
1861年 ペドロ5世 ポルトガル王 1837年
1862年

ジェイムズ・マディソン・ポーター

(1793 - 1862)

第18代アメリカ合衆国陸軍長官

第18代アメリカ合衆国陸軍長官
第18代アメリカ合衆国陸軍長官を務めた政治家。
ジェイムズ・マディソン・ポーターはアメリカ合衆国の政治家で、陸軍長官として軍の近代化や士官養成制度の整備に貢献した。ペンシルベニア州出身で法曹界でも活動し、教育分野ではラファイエット大学の創立に携わった。彼の政務は西部開拓と国家防衛のバランスを図る政策に影響を与えた。晩年は地域社会の発展と教育振興に尽力した。
1862年 ジェイムズ・マディソン・ポーター アメリカ合衆国陸軍長官 1793年
1869年

ロバート・ウォーカー

(1801 - 1869)

第18代アメリカ合衆国財務長官

第18代アメリカ合衆国財務長官
第18代アメリカ合衆国財務長官を務めた政治家。
ロバート・ウォーカーはアメリカ合衆国の政治家で、財務長官として国家財政の安定化と歳入改革に取り組んだ。メリーランド州出身で法学を修めた後、政治家として活動を開始した。任期中は通貨制度の整備や税制改革を推進し、経済危機の緩和を図った。南北戦争前夜の財政政策に関わり、経済の基盤強化に貢献した。晩年は公益事業の支援や慈善活動にも携わった。
1869年 ロバート・ウォーカー アメリカ合衆国財務長官 1801年
1878年

ステファン・ミトロフ・リュビシャ

(1824 - 1878)

作家、政治家

作家 政治家
セルビアの作家で政治家。民族文化の発展に寄与した。
ステファン・ミトロフ・リュビシャはセルビアの作家・政治家で、19世紀の文学と政治を融合させた文化人として知られる。詩や小説、戯曲など多彩な著作を通じてセルビア語の標準化に努め、民族意識の醸成に貢献した。政治家としては地方自治や教育制度の改革を推進し、セルビアの近代化に寄与した。彼の活動は文化と政治の両面から祖国の自立を支える基盤となった。
1878年 ステファン・ミトロフ・リュビシャ 英語版 1824年
1886年

ポール・バート

(1833 - 1886)

医師、生理学者、政治家

医師 生理学者 政治家
フランスの医師・生理学者・政治家。公共衛生の発展に寄与。
ポール・バートはフランスの医師・生理学者で、呼吸や気圧の生理学的影響に関する研究で知られる。気圧カメラを用いた実験により、人体への低圧環境の影響を解明し、生理学の発展に貢献した。政治家として教育大臣などを歴任し、公共衛生や教育制度の改革を推進した。彼の科学的成果は産業衛生や潜水技術の基礎にも影響を与えた。
1886年 ポール・バート フランス語版 1833年
1892年

山田顕義

(1844 - 1892)

初代司法大臣、日本大学創設者

初代司法大臣 日本大学創設者
日本の司法大臣(初代)・日本大学創設者。明治の法制改革に尽力。
山田顕義は幕末から明治期にかけて活躍した政治家・法律家で、初代司法大臣として近代日本の法体系の整備に尽力した。土佐藩出身で、東京開成学校(現東京大学)の教官を務めた後、司法制度の近代化を推進した。また日本大学の前身となる私立学校を設立し、高等教育の普及に貢献した。司法制度と教育制度の礎を築いた先覚者として評価される。
1892年 山田顕義 司法大臣 日本大学 1844年