1891年
常設国際平和局設立。
1891年12月1日、恒久的な国際平和推進を目的とした常設国際平和局が設立されました。
常設国際平和局(Permanent International Peace Bureau)は、国際的な平和運動を継続的に推進する組織として設立。
本部をスイスのジュネーブに置き、各国の平和団体や活動家を結びつけるネットワークを構築しました。
会議や出版物を通じて、戦争回避や軍縮の必要性を世界に訴えました。
同組織は1905年にノーベル平和賞を受賞し、その活動は国際連盟や国連の平和思想形成に影響を与えました。
20世紀初頭までに世界中に支部を拡大し、平和運動の基盤を築いた先駆的存在です。
1891年
常設国際平和局
1891年
中之島公園開園。大阪市で誕生した初めての都市公園。
1891年12月1日、大阪市初の都市公園として中之島公園が開園しました。
中之島公園は堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島地区に位置。
開園当初から西洋風のバラ園や噴水、音楽堂などが整備され、市民の憩いの場となりました。
英国人建築家の設計により近代的な都市緑地が形成され、日本の都市公園史における先駆的事例とされています。
その後もイベントや文化活動の会場として発展し、大阪のランドマークとして親しまれています。
現在は重要文化財や国の登録記念物にも指定され、観光名所となっています。
中之島公園
1923年
同年(大正12年)9月1日の関東大震災で、日本橋市場一帯が全焼。東京市が築地への市場移転方針を決定し、築地海軍技術研究所の跡地を借り受けて東京市設築地市場を開場した。
1923年12月1日、関東大震災で焼失した日本橋市場の代替として東京市設築地市場が開場しました。
関東大震災で日本橋市場が全焼したため、東京市は築地海軍技術研究所の跡地を借用して市場の移転を決定しました。築地は埋立地であったが、海に近接した立地が鮮魚流通に適していました。新市場は近代的な施設として整備され、広大な敷地に多数の業者が出店しました。開場により復興需要が喚起され、東京の食文化発展に貢献しました。以後、日本最大級の卸売市場として機能しました。
1923年
9月1日
関東大震災
1926年
大阪中央放送局(現在のNHK大阪放送局)が本放送を開始。
1926年12月1日、大阪中央放送局(現NHK大阪放送局)が本放送を開始しました。
1926年、ラジオ放送普及の一環として大阪中央放送局が本放送をスタートしました。当初は関西地域向けのニュースや音楽番組を中心に編成されました。リアルタイムでの情報伝達手段として注目を集め、リスナー数は急増しました。同局の開局は地方放送網の拡充と地域文化の発信に大きく寄与しました。現在もNHKの中核拠点として多彩な番組制作を行っています。
1926年
NHK大阪放送局
1930年
日本橋三越でお子様ランチが初めて登場。
1930年12月1日、日本橋三越で初めて「お子様ランチ」が登場しました。
1930年12月1日、日本橋三越百貨店のレストランで、子供向けメニューとして初めて「お子様ランチ」が提供されました。
彩り豊かな色合いと小さなスペースにハンバーグやエビフライ、サラダなどを盛り付けたワンプレート形式が特徴です。
子供に食事を楽しんでもらう狙いで考案され、当時の家族連れに大きな話題となりました。
戦後にかけて、全国のレストランや洋食店に広がり、日本独自の食文化として定着しました。
近年では懐かしさを感じさせるメニューとして、レトロブームの中で再評価されています。
1930年
三越
お子様ランチ
1949年
初のお年玉年賀はがきを発売。
日本で初めてお年玉年賀はがきが発売された日。くじ引き付きの年賀状が新年の楽しみを広げました。
1949年、日本郵政公社(当時の日本郵便)が初めてお年玉年賀はがきを発売しました。
これまでの年賀状に抽選くじを組み合わせることで、受け取る側の楽しみを増やす狙いがありました。
発売当初から豪華賞品が用意され、新年の挨拶とともに広く親しまれるイベントとなりました。
年賀はがきの売上は大きく伸び、郵便事業の収益向上にも寄与しました。
現在も続く日本の年賀状文化の一端を担う画期的な取り組みでした。
1949年
お年玉年賀はがき
1951年
福岡でラジオ九州(現・RKB毎日放送)開局。
福岡でラジオ九州(現RKB毎日放送)が開局した日。地域メディアの新たな幕開けです。
1951年12月1日、福岡県福岡市に九州地方初の民間ラジオ局「ラジオ九州」が開局しました。
出力50Wで始まった放送は、地元ニュースや音楽、情報番組など多彩な内容を提供し地域に根ざしたメディアとして成長しました。
現在のRKB毎日放送へ改称後はテレビ放送も開始し、総合メディア企業に発展しています。
開局当初の木造スタジオや初代パーソナリティのエピソードは、放送史に残る貴重な資料となっています。
地域文化の発信拠点としての役割を今なお担っています。
1951年
RKB毎日放送
1953年
ラジオ福島が開局。
福島県でラジオ福島が開局した日。地域放送の新たな拠点が誕生しました。
1953年12月1日、福島県郡山市を拠点に民間ラジオ局「ラジオ福島」が放送を開始しました。
初期の送信出力は2kW程度で、県内全域をカバーしました。
ニュース、音楽番組、生活情報など、多彩なコンテンツを提供し地域に根ざした放送局として成長しました。
その後、テレビ放送進出やネットワーク加盟を経験し、現在は多チャンネル展開でメディア企業として活躍しています。
地域コミュニティの情報ハブとして、地域文化の発信にも貢献しています。
ラジオ福島
1955年
モンゴメリー・バス・ボイコット事件: アラバマ州モンゴメリー で市営バスの白人優先席に座っていた黒人女性ローザ・パークスが逮捕される。
モンゴメリー・バス・ボイコット事件でローザ・パークスが逮捕された日。公民権運動の転機となりました。
1955年12月1日、アメリカ南部のアラバマ州モンゴメリーで、黒人女性ローザ・パークスが白人優先席に座ったとして逮捕されました。
これを契機に黒人市民によるバス・ボイコット運動が始まり、公民権運動の象徴的事件となりました。
この運動はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師などの指導により全国的な注目を集め、差別撤廃の世論を高めました。
長期にわたるボイコットは公共交通機関の経営に大きな打撃を与え、1956年には最高裁判所が人種隔離を違憲と判断しました。
この出来事はアメリカにおける公民権運動を加速させ、人種平等への道を切り開きました。
モンゴメリー・バス・ボイコット事件
アラバマ州
モンゴメリー
ローザ・パークス
1956年
中部日本放送(CBC、現在のテレビ事業は株式会社CBCテレビが運営)テレビジョン、大阪テレビ放送(OTV、現・朝日放送テレビジョン)開局。
中部日本放送(CBC)テレビと大阪テレビ放送(OTV)が開局し、地方テレビ放送が拡充された日。
1956年12月1日、中部日本放送(CBC)のテレビ事業が開始され、同日大阪テレビ放送(OTV)も開局しました。
CBCテレビは名古屋を拠点に中京圏でテレビ放送を開始し、報道や娯楽番組で視聴者を獲得しました。
OTV(後の朝日放送テレビ)は大阪を中心に阪神間で放送を展開し、地域密着型の番組編成を行いました。
両局の開局は日本のテレビ放送普及初期における重要なマイルストーンとなり、地方局のネットワーク構築に寄与しました。
この日を境に、地方におけるテレビ視聴の裾野が一気に拡大しました。
1956年
中部日本放送
CBCテレビ
朝日放送テレビジョン
1958年
北陸放送・南海放送テレビ放送開始。北陸放送は日本海側で初の民放テレビ局。
北陸放送と南海放送がテレビ放送を開始。
北陸放送は日本海側初の民放テレビ局として注目された。
1958年12月1日、北陸放送と南海放送がテレビ放送を開始した。
北陸放送は日本海側初の民放テレビ局として、地域のニュースや娯楽番組を提供。
南海放送は香川県を中心に番組編成を整え、テレビ時代の幕開けを告げた。
両局の開局は地方テレビ網の拡大を象徴し、視聴者の生活に新たな視聴スタイルをもたらした。
この日に始まった放送は現在も地域密着型メディアとして根強い人気を誇っている。
北陸放送
南海放送
1963年
NHK甲府、長崎、宮崎教育テレビジョンが開局。
NHK甲府、長崎、宮崎の教育テレビジョン3局が同時開局。
各地域の教育番組が充実化。
1963年12月1日、NHKの教育テレビジョンが甲府、長崎、宮崎で新たに開局した。
各局は地域に根ざした教育・文化番組を制作し、県民の知的好奇心を喚起。
放送開始により視聴者は学校教育を補完する番組を家庭で楽しめるようになった。
これまで情報格差があった地方でも、多様な学習コンテンツが提供された。
これらの局は後のEテレとして現在まで教育分野での地位を確立している。
1963年
甲府
長崎
宮崎