1840年

ナポレオンの遺骸がセントヘレナからフランスに返還され、アンヴァリッドに安置される。

1840年、ナポレオン・ボナパルトの遺骸がセントヘレナ島からフランスに返還され、アンヴァリッドに安置されました。
ナポレオンは1815年のワーテルローの敗北後、セントヘレナ島に流されて死去しました。 1840年、当時のフランス国王ルイ・フィリップの命により、遺骸回収が決定されました。 12月15日に遺骸が船でフランスに搬送され、パリのアンヴァリッドに安置されました。 フランス国民は「帰郷(retour des cendres)」と呼ばれるこの出来事を熱狂的に迎え、ナポレオン崇拝が再燃しました。 これによりナポレオンはフランスの象徴的英雄として再評価され、ナポレオン像文化の礎となりました。
1840年 ナポレオン セントヘレナ フランス アンヴァリッド
1906年

年賀郵便の取り扱いを日本各地で開始。

1906年12月15日、日本各地で年賀郵便の取り扱いが始まり、新年の慣習が郵便サービスに取り入れられました。
年賀状を年末に一斉配達する年賀郵便制度が導入され、新年の挨拶文化が全国に広がりました。 それまで私製はがきが主流だった新年の便りが、官製はがきとして公式に扱われるようになりました。 年賀郵便の普及は、家族や友人への新年の願いを届ける手段として定着し、今日の年賀状文化の礎を築きました。 郵便事業者による特別取り扱いにより、指定日に一斉に配達される仕組みが確立されました。 この成功を受け、以降も季節や記念日に合わせた郵便サービスが拡充されていきました。
1906年 年賀郵便
1928年

宮崎市で学校移転に反対する群衆が県議会議事堂、県知事公舎を襲撃。消防ポンプ車を使用した放水などで建物を破壊する。

1928年12月15日、宮崎市で学校移転に反対する群衆が県議会議事堂などを襲撃しました。
新設予定の学校移転に反対する地元住民や学生らが集結し、県議会議事堂と知事公舎を襲撃しました。 群衆は消防ポンプ車を用いて放水するなどして建物を破壊し、強い抗議の意志を示しました。 この騒動は地域社会の教育政策に対する不満が爆発したもので、治安当局も出動する事態となりました。 事件後、教育委員会と住民の間で移転計画の見直し協議が行われました。 地方行政と住民の対立が顕在化した事例として、後の自治体運営にも影響を与えました。
1928年 宮崎市 消防ポンプ車 放水
1945年

上野駅地下道に集まっていた浮浪児、浮浪者2500人を一斉収容。

戦後混乱期に上野駅地下通路で生活していた浮浪児・浮浪者約2500人が一斉に収容される。
第二次世界大戦終結直後、食料難と住宅不足で多くの浮浪者が路上生活を余儀なくされた。 1945年12月15日、警察当局は上野駅地下通路に集まった約2500人を一斉に仮収容所へ移送した。 この措置は炊き出しや医療支援を目的としたものとされ、後に福祉施設や職業訓練所へ振り分けられた。 一方で強制収容に対する人権的な批判もあり、戦後の社会福祉政策の在り方が議論される契機となった。 本事件は路上生活者支援の歴史的転換点と位置づけられている。
上野駅
1959年

ラジオ山陰(現・山陰放送)テレビジョン放送開局。

鳥取・島根両県を放送エリアに持つラジオ山陰がテレビ放送を開始。
1959年12月15日、ラジオ山陰(現・山陰放送)がテレビジョン放送を開局した。 コールサインはJOUS-TVで、初日はニュースや娯楽番組を放送した。 これにより山陰地域にもテレビが普及し、住民の情報アクセスが飛躍的に向上した。 開局当初は番組制作や技術面で苦労を伴ったが、地域密着型の番組で視聴者の支持を獲得した。 現在も山陰放送はテレビとラジオ両媒体で地域の情報発信を行っている。
1959年 ラジオ山陰(現・山陰放送)
1962年

札幌テレビ放送のラジオ部門(STVラジオ、後に札幌テレビ放送から分社)開局。

札幌テレビ放送のラジオ部門がSTVラジオとして独立し、放送を開始。
1962年12月15日、札幌テレビ放送のラジオ事業が分社化されSTVラジオとして開局した。 北海道内を広くカバーする送信網を持ち、ニュースや音楽番組を中心に放送を展開した。 道民の生活に根ざした地域情報の提供や、災害時の緊急放送で重要な役割を果たしている。 近年はインターネット配信や地域イベントへの出演など、多様なサービスを拡充している。 地元出身のアナウンサーやパーソナリティが親しみやすい番組作りに努めている。
1962年 札幌テレビ放送 STVラジオ
1972年

極東放送(現・エフエム沖縄)開局。

沖縄県のコミュニティFM局、極東放送(現エフエム沖縄)が初の放送を開始。
1972年12月15日、沖縄県のコミュニティFM局「極東放送」が開局しました。 当時沖縄返還から半年後に設立され、多彩なローカル番組を放送して地域文化の振興に貢献。 音楽、ニュース、暮らし情報など多岐にわたる編成でリスナーを獲得。 後に社名をエフエム沖縄に変更し、県内最大のFM局として発展。 地元に根ざした放送局の草創期を代表する出来事です。
1972年 極東放送 エフエム沖縄
1994年

日本で、住民票の「嫡出子・非嫡出子」の表記を「子」に統一。

日本の住民票における「嫡出子・非嫡出子」の区別が廃止され、すべて「子」に統一されました。 個人の尊厳を尊重する重要な制度改革です。
1994年12月15日、日本の住民基本台帳法改正により、住民票に記載される子の身分表記が「嫡出子・非嫡出子」から「子」に統一されることが決定しました。 この改正は子どもの権利保障と家族の多様性を尊重する動きの一環です。 差別的な表記を廃止することで、子どもたちの法的地位や社会的評価の平等化を図りました。 制度変更は1996年1月1日から施行され、全国の自治体で新表記様式が適用されました。 これにより、個人の尊厳を守る公的書類のあり方が見直されました。
住民票 嫡出子・非嫡出子
2022年

イギリスで、40万人以上の看護師を代表する労働組合「王立看護協会(RCN)」が、賃上げを求めて史上初のストライキを実施。

2022年12月15日、イギリス看護師組合RCNが約40万人の組合員を代表し、賃上げ要求で初のストライキを実施しました。\nNHSの広範な運営に影響を及ぼす歴史的な労働行動です。
王立看護協会(RCN)は英国最大の看護師組合で約40万人が加盟しています。\n賃金水準の低迷や人員不足を背景に政府との交渉が難航していました。\n2022年12月15日、RCNは初の全国ストライキを実施。\n病院や診療所で治療や手術の延期が相次ぎ、NHSの運営に大きな影響が出ました。\n政府は交渉を継続し、部分的な賃金改善案を提示しました。\nこの行動は医療労働者の待遇改善に関する議論をさらに活性化させました。